預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

球体の影は、四角にはならない!(イザヤ40:28~31)

 モーセは詩篇90で「人の齢はせいぜい80年」と言っているのに、何故か「モーセの様に自分も80から」と信じ込む人がいる。確かにイザヤも「主を待ち望む者は新しく力を得る。疲れない」と、老化を否定するような事を言っているが、「新しい力」とは何なのかが問題だ。
 「旧約は影(シルエット)で、新約はその実体」と言われる。すると、もし実体が球体であるなら、その影は丸であるはずだ。決して四角にはならない。つまり、新約に無い教えを旧約から捻り出してはいけないという事だ。そこで、新約に「120歳までバリバリ元気に働ける」という教えがあるか、だ。もし旧約に、それと思える記述があったとしても、新約に無いなら、それは見誤りである。球体のシルエットを四角と見間違えているのだ。言うまでもなく人は疲れ、老いて死ぬ。加えて、神を知らないままなら滅びる。だから人間には救いが必要なのであり、その為にキリストは来て下さった訳で、その救い主来臨(実体)のシルエットが旧約なのである。そういう訳で、この「新しい力」というシルエットの実体も新約から見出さなければいけない。
 英語の聖書では、それは「リニュー」(刷新)である。例えばペテロ。主を信じていた。しかし有限で、疲れ、恐れ、疑い、気落ちし、ついには主を裏切った。だから、その弱い「信じる力」を力強い信仰へと刷新するという事だ。事実、主の昇天ののち10日間、祈り待ち望んだ弟子達は聖霊によって力を受け、人を恐れないで主を証する者と変えられた。イザヤ書はそのシルエットを映しているのだ。それが「主を待ち望む者は新しく力を得る」なのである。この様に旧約は、新約の教えに至る読み方をしなければいけないのである。
 更に言えば、この箇所は27節(イスラエルは困難の中で神への信頼を失っていた、という事)に対する神の返答である。それが「あなたは知らないのか。たとえ困難があっても、神が力を新たにし、信仰を強める」という事だ。新約にあるように「(神への信頼を)持っている者は、更に与えられて豊かになる」のであり、ついには天で新しい命を得るのだ。それが影なる旧約が示す「信仰の実体」である。この信仰を掴むなら、力を得る。倒れない。天の御国にまで上るのである。

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