預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

戦争は嫌だ

 「避難者訴訟」の最終弁論をここに載せる前に、2019年5月14日に行われた「安保違憲訴訟」における私の意見陳述を載せたいと思います。(戦争反対のための裁判の原告にもなっています)
 これが絶賛されまして、弁護士たちの間で話題となり、閲覧され、「感動した」と声をかけられることも多かったものです。よろしければお読みください。


以下


意見陳述
原告 金本友孝


 私は1961年の3月、大阪で生まれました。今は58歳ですから勿論、先の戦争を体験してはいません。ですが、それでも私は戦争の被害者です。いわゆる「在日韓国人」――かつての日韓併合後、一時(1920年頃)は、日本国民としての権利が与えられていたのに、敗戦以降、その存在が疎まれ、「日本人ではないが外国人でもない」という中途半端な「三国人」として排除された者――として日本で生まれた私は、幼い頃から、日本で生きる事の辛さを味わい続けて育ちました。誰でもそうですが、自分がどこで生まれるかを自分で選ぶ事は出来ません。私も、気が付いたら、日本で、理不尽にも、疎外されていたのです。それゆえ、将来への夢も希望も持てず、自分は何者かという「アイデンティティ」(つまり、日本で生まれ日本語を話し、日本人と何ら変わらない生活をしているのに、日本人とは認められないで、かえって韓国人という誇りも持てないということ)に悩み、やがて親にも社会にも背を向けて自暴自棄に生きるようになってしまいました。私の何がいけなかったのでしょうか。自分の行いが悪かったのなら仕方ありません。しかし、この問題、その原因は、私ではありません。原因は「戦争」にあるのです。ですから私は、日本が行っていた「戦争」の被害者なのです。
そのような「被害」は、あくまでも間接的なものであるのかもしれません。しかし、直接的でなくても、それでも一人の人間を徹底的に打ちのめし、苦しめ、人生を闇にさせるほど恐ろしいもの、それが戦争だということです。
 ただ幸い、ある時、私は聖書に出会い、クリスチャンとなり、今は牧師をしています。「私達の国籍は天にある」という聖書の教えによって魂の救いを得て、地上での国籍で悩むというような心の問題からは解放されました。しかし残念ながら、現実の苦しみは残されたままです。戦後74年が経とうとも、その戦禍・被害者の苦悩は終わっていないのです。加えてこの度の新安保法によって、私の心と生活は再び侵害されています。と言いますのは、聖書は、言うまでもなく、殺人を禁止しています。それ以上に、平和を作ることを「幸い」としているのです。その点、日本の憲法、特に9条は、聖書の教えに通じる、美しい憲法です。それを「みっともない」と罵り、無理やり解釈を変えて、戦争が出来る国へと逆戻りする政府の政策は、憲法を破壊する行為であり、まるで治りかけた傷口に指をねじ入れて引き裂くような非道極まりないものであると言いたいと思います。私は非常な心の痛みを感じています。間接的被害者でさえ、そうなのです。ならば、本当に戦地に送り込まれる若者達がどんなに苦しむか、それは火を見るより明らかです。事実、アメリカの兵士達が戦地から帰還後に自死するという事態が多発しておりますし、それは日本の自衛官にも、まだ本格的な戦争にはなっていない今でさえ、すでに同じことが起きていると聞きます。
 私は1995年に、一年間だけ留学したアメリカでパスポートの更新をしようとした時、韓国領事館から「あなたは韓国に行って、軍隊に入らなければならない」と言われてしまったことがあります。ご存知の通り、韓国は未だ戦時中であり、徴兵制が敷かれています。ただ「在日」にはそれが免除されていたのですが、何故だか「在日韓国人」が日本で取ったパスポートをアメリカで更新する場合は、免除されないのだというのです。それまで、軍隊など自分とは無縁と思っていた私は、まさかそれが自分に降りかかるとは予期もせず、突然の余命宣告を受けた病人のように激しく狼狽しました。韓国語は全く分からないのに、どうやって韓国の軍隊で生きて行けばいいのか、英語の得意でない身重の妻と3歳の子供をアメリカに残して自分一人で韓国に行けるのか……。脱出の道はないと思われました。目の前が真っ暗になりました。が、はからずも、パスポートの期限切れ直前に35歳の誕生日を迎える(35歳以上は免除)という事で最悪の事態は回避出来ましたが、危機一髪でした。恐ろしい体験でした。でも、それがかつての「赤紙」というものなのだろうということを知りました。ですからもし、安倍総理の思惑通り、日本に徴兵制が再び実施されるならば、このようなことが、いや、もっと大きな悲しみと恐怖が日本中で巻き起こるのでしょう。私の子供たちは妻が日本人ゆえに日本国籍です。私のみならず子供たちにまで、そんな絶望的な思いをさせるわけにはいきません。
 2011年の3月12日、私の50歳の誕生日、その日に福島の原発は爆発しました。その時、私は福島県いわき市に住んで15年でしたが、前日の大震災ですでに町は壊滅。火災、爆発音、けたたましく鳴り響くサイレン、あたかも戦場であるかのような状況でした。そのような未曽有の大災害に加えて、原発が爆発するという破滅的な危機の中、まるで墜落する飛行機に乗っているような暗黒の恐怖を感じ、私は、「もう、ここで死ぬんだな」と覚悟して、3人の子供たちに言いました。「祈りなさい。せめて苦しまないで死ねるように」と。それ程に追い詰められたのです。
 奇跡的に避難することが出来はしましたが、必然的に当時住んでいた自宅兼教会は無人となります。私はその時点で、牧師として働いて20年でしたが、その20年間、休むことなく毎週続けて来た日曜の礼拝を開くことを断念せざるを得なくなってしまったのです。信教の自由はあっても、いざ国家的な非常事態が起きれば、個人の信仰による生活、その権利などはいとも簡単に奪われてしまうのだということを実体験しました。自然災害なら致し方ないとしても、戦争は、避けることが出来るもの、むしろ避けるべきことであるにもかかわらず、新安保法は強引に制定されてしまいました。それによって日本がテロの標的になることだけでも、私にとっては、死の恐怖と苦しみを思い出させるに充分であり、現実のものとして今後も私の宗教的信条や生活を脅かすのです。
 最後に、「在日韓国人」として、特別永住者とされている私ですが、実は永住する権利があるのではなく、永住を許可されているだけだと知った時は、衝撃を受けました。もし戦争が起こり、邪魔者と判断されたなら、私は日本から追い出されるのかもしれないということなのでしょう。帰れと言われても、韓国に私の帰るところなんかありません。そもそも私は日本に「来た」のではなく、日本で生まれたのです。この国に私の生活があり人生があるのです。その人生を侵害する――例えば居住権、幸福追求権、生存権、基本的人権など、それら全てを私から奪い去ろうとする――もの、それが「戦争法」と呼ばれる新安保法です。
 まだ法案だった頃は、反対のデモ行進もし、市民運動にも加わって来ましたが、法制化されてしまった今、参政権もない私には、もはや裁判所しか頼るところはありません。もうこれ以上、誰にも、戦争による苦しみを強いることのないように、正義に基づくご判断をお願いいたします。

×

非ログインユーザーとして返信する