預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

あなたもロッカーになれる!

ここ数日のBGM(仕事しながら流す音楽)は1990年代のSavoy Brownだ。
確か1966年からだから、もう54年ずっと一つのバンドをやり続けている、それがKim Simmonds率いるSavoy Brownというブリティッシュブルースロックのバンドである。
勿論、メンバーは変わりまくって、オリジナルはKimだけなのだが、もはやそんなことはどうでもいい。へこたれない、流されない、その姿がロックなのだ。ロックは音楽のジャンルなんかじゃない。エレキ弾いたらロックってわけでもない。なんなら、アコギ一本でもロックは出来る。
ロックは、生き方だ。反体制、長いものには巻かれない、おかしな世の中には迎合しない、それがロックだ。
だから、誰が何と言おうと、原発は嫌だ。
「牧師は伝道だけしてろ」だって?
嫌だ。国と大企業を相手に戦う。黙って殺されるのを待つなんてまっぴらごめん。例えば、敵がナイフを持って向かってくるときに、何もしないで突っ立って、刺されるままに刺される、そんな人がいるだろうか? 「よせ、やめろ、やめてくれ」って、勝てないにしても、殺されるその直前まで抵抗するべきではないだろうか。
ちなみに私が原告団長を務める『福島原発被害救済九州訴訟』の5年にわたる裁判の判決が今年の6月24日だ。どんな判決が出ても、おそらく双方が控訴するだろうから、まだまだ続く。
9年前、福島から避難するまではバンドやってたけど、今はもう自分のバンドを持っていない。それでも、バンドなくったってロックはしてるのだ。

(↑小さな女の子は、偶然そこにいた<誰かが連れて来ていた>だけで、特別な意味はありません)


ただ、
本音は、
やっぱりバンドやりたい。
けど、指なまってるからなあ。

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