預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

誤解 Goかい?

きょうは、13日の金曜日。世にも忌まわしい日として世に知られている。
しかし、それは間違いであることはあまり知られていない。


そもそも、忌まわしいとされる理由として、それが「キリストが殺された日」だからと言われているが、だとすれば、まさに「忌まわしいというのは誤解」である。


何故なら、キリストが十字架で死んだのは、信じる者の罪を赦すための身代わりとしてなのであると聖書は教えているのであり、それゆえに信じるなら罪赦されて天国に入れるという喜ぶべき「救い」の道が開かれた日、それが「キリストが殺された日」なのであるのだから。ゆえに英語では13日の金曜日のことを “Good Friday” と言う。



世にも忌まわしい日、それは、何を隠そう、昨日、3月12日だ。
きのう、私は59歳になった。来年は還暦だと囃された。忌まわしい。


じゃなくて、原発が爆発した日。
二度とあってはならない。
なのに、何回でも起こりそう。
その時の為に避難経路を確保しよう、とか。
また事故が起きるのは当たり前のこととして、それを前提とした考えだ。
間違っている。
避難できれば大丈夫……じゃなくて、避難しなくて済むように危険を取り除くことの方が正しいはずだと思う。
もし、避難しなければならないような事態になって、仮に避難できたとしても(実際は、パニックになって避難なんかできないと思うけど)、ああよかったね、で済まない。もうそこには還れないんだから。
今度は終わる。
それでも「Go」かい?




誤解と言えば、もう一つ。
電気が使えるのは原発があるおかげなんだからって、反原発に反対する人がいる。
けど、9年前の爆発後、日本中の原発が止まってたとき、電気は普通に足りてた。
今や、電気は余ってる。
それで、太陽光発電に対して、電気を作り過ぎるなって圧力かけてる。
原発なくても電気は足りてる。
それを知らずに、原発必要って言うのは、誤解なのである。


この国に足りないのは、


愛だ。

×

非ログインユーザーとして返信する