預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

これって、ずるくない?

子供の甲状腺検査の知らせが福島から来た。
9年前、うちの子は3人ともまだ未成年だったので、この9年間の間に何回も検査を受けて、3人とも甲状腺に嚢胞が多数見つかり、回を重ねるごとに徐々に大きくなっている。
前回の検査では、最大5ミリ。精密検査不要の判断のリミットだ。
今度検査したらどうなっているのか、見るのが怖い。


そこを突いてなのか、「検査を受けるデメリット」として「不安が起こる」とか書いてある。
だから受けるか受けないかは、自分で判断して、ということだ。


なんだ、それは。
ずるいと思う。
まるで、「検査しなければ安心出来ますよ」って言いたいかのような。
検査しないまま甲状腺ガンになっても、「原発事故との因果関係は無い」って言われて、見捨てられるのがオチだ。
伝家の宝刀「自己責任」を抜けば、責任逃れが出来るという寸法だろう。


だからと言って、検査して問題が発見されたらどうしよう、という不安は残る。
どうしたらいいのか悩む。
一番下の娘は、まだ19歳だ。
検査に連れて行くということは、その不安に晒すということであって、親として忍びない。
ふびんだ。
裁判などで、健康被害を訴えるにしても、それで子供を傷つけてしまう恐れがある。


少なくとも、ここまでの不安を与えておきながら(もっと甚大な被害が起きているのに)、「責任が無い」などとよくも言える。
「福島原発事故被害救済九州訴訟」の判決(6月24日)がどうなるか。
最終弁論では、力の限り語ったし、裁判長の心にも届いたろう手ごたえはあった。
あとは司法の良心に望みをかけるしかない。

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