預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

…事態宣言

緊急事態宣言がついに出るらしい。
賛否様々だが、今更もう止められないのだろう。


しかし私は思う。
国も、国民も共に、一貫性が無い、ということを。


まず、コロナ。
緊急事態宣言が出る前から、自粛が当然という風潮で、たとえ経済が落ち込もうと仕方ない、中小企業や飲食店・自営業者らのことより、身の安全(感染防止)が第一というのが共通観念となっている。右に倣えしない者は「バカ者」とされて、白い目で見られ、石を投げられるかの勢いだ。そのうえ、非常事態宣言が出されたらどうなるのだろう。
それほどに「命を守ることに必死になっている」ということだ。それは評価される面があるし、「命第一」には同意する。


一方、原発。
9年前の爆発事故から「原子力非常事態宣言」はいまだに発令中である。解除されていない。今は、まさに「非常事態」なのだ。
なのに、その「非常事態宣言」が発令されている中で、どうして「原発再稼働」なのか。しかも「新設」とか「輸出」とか、有り得ないし。
それは「花見自粛」の中で、お友達と花見をするに等しい。
総理夫人は、それで顰蹙を買ってしまったのではなかったか。
国会でも問題視されたし、国民も「不謹慎だ」というような反応を示したはずだ。
なのに、「原子力非常事態宣言」発令中の「原発再稼働」は、いいのか。
いい、と言うより、むしろ待ち望んでるかのようだ。
「原発が無いと経済が」……って。
いや、待ってほしい。
コロナでは「経済より命を守ることが最優先」ってことで、自粛、自粛、自粛!
そのスタイルが何故、原発では逆なのか。
新型コロナの致死率は今のところ約2%
単純に計算すれば、感染したら100人に2人が死ぬ。
だが、放射能は、被爆したら、その致死率は遥かに高い。
事と次第によっては、即死。


2%の致死率を恐れるなと言ってるのではない。
感染は出来るだけ避けるべきだ。
自粛による経済の落ち込みも、出来る限り、耐えよう。
ならば、放射能被害も可能な限り避けるべきであって、
その為には何かを犠牲にしてでも、耐えて、命を守るべきではないだろうか。
それが「原子力非常事態宣言」さなかの行動理念ではないだろうか。
なのになぜ、多くの人は、原発再稼働を歓迎するのか。
それは花見より、夜の盛り場を出歩くことより、ライブハウスに行くより、卒業式を挙行するより、マスクをせずに咳をすることより、遥かにリスクが高いのに。


もし仮に、原発がなくなって江戸時代の生活に戻るとしても……
そんなことは有り得ないが。
電気は余ってるんだから、原発が無くても何も困りはしない。
けど、仮にもし、電気に困ったとしても、それでも、命を守るべきではないだろうか。
「経済活動より感染防止!」って言うなら、そうするはずだ。


その辺の一貫性の無さ、矛盾、見当はずれ。
それは国も、多くの(例外を除く)国民も、両方だと思う。


とにかく、非常事態には自粛! 自粛!
みんな、力を合わせて、乗り越えよう。そのために自粛だ。
「はやく緊急事態宣言を出してくれ!」と首長が叫ぶほどだ。


だったら、「原子力非常事態宣言」真っただ中の日本なんだから、
再稼働も自粛だ。
「大企業より国民の命を守ってほしいぞ」事態宣言、ここに発令。

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