預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

専門家に聞いてはいけない…

今日で終わり。





そう期待してた。
何が?
って、「自粛いやがらせ」のこと。
つまり、国民に「自粛しろ」と言って、飲食店等に行くのをやめさせて、飲食店等には補償はしないという「店いじめ」(別名:自粛要請)が今日で終わると期待してたのだ。そうすれば、何とか生き延びる人も増えるだろうから。


それが、納得できる理由説明もないまま、緊急事態宣言が月末まで延長。
なんで月末か。「キリがいいから」だそう。((+_+))
そもそも初めから「5月6日まで」ってのも、ゴールデンウイークの終わりってことでキリが良かったんだろう。


そりゃあ勿論、感染症の専門家に聞けば「人との接触を絶対避けなさい」と言うに決まってる。それが一番安全だというのも分かる。
しかし、それを徹底したら生活が成り立たない。
だからと言って、感染症の専門家が「じゃあ、ちょっとぐらいいいよ」とは絶対に言わない。
彼らは、庶民の生活のこととか、政治のこととか、経済のこととかを考えて、それらが守られるようにというようなことを考えてはいない。何故なら、彼らは、感染症の専門家であるからだ。感染症を防ぐことだけを考えて発言しているのだ。そして、それは専門家としては、正しいことなのである。


例えば、聖書の専門家に聞いたとしよう。「新型コロナ、どう対応しましょう」と。
おそらく言うだろう。「これは聖書の預言の通りである。世の終わりには疫病が蔓延するものなのだ。あとは、主が迎えに来られるのを待つのみである」と。
そう、それは聖書の専門家としては正しいのかもしれない。じたばたしても始まらない、と。そんな時に財産なんか何の役にも立たない。有名な人でも感染する。死は避けることはできない。
その様な意見は、たとえ正しくとも、今日、生きること、明日の食べ物をどうするかということは全く考慮されていないのである。


さらに例えば、睡眠障害の専門家(医者)に聞くとしよう。「1日に何時間寝ればいいですか?」
答えは決まってる。「8時間は寝た方がいい」
それは分かる。
けど、超売れっ子のアイドル、受験生、バイトを3つも掛け持ちしてる苦学生……彼らがそれをできるか。無理だ。
勿論、8時間寝た方がいい。それは、正しい。
しかし、「正しいことをやれ」「やらなきゃだめだ」「従わないなら名前を公表する」と言われても、「じゃあ、8時間寝て、仕事を捨てろ。学校辞めろ」ってことですか?


そこで、その兼ね合いを何とかするのが政治であるはずなのに。
専門家会議の言うままに、延長か?


「人と会うな」


ずっと? いつまで?
聞いたことないのかな。
「いいかい? 人っていう字はね、人と人が支え合って出来てるんだよ」



決して、「感染を恐れず、どんどん街へ出よう」と言っているのではない。
バランスだ。
最たるは、「自粛要請」と「補償」のバランス。
取れてない、どころか、関取と幼稚園児がシーソーに乗ったかのようにビクともしない。


これで、ある日突然、関取がシーソーから降りたら、反動で、片側の幼稚園児は地面に激突して、致命傷を負う。


段階的に解除するべきだ。


感染症の専門家(感染を防ぐことだけ考えてる人たち)は、そうは言わないだろうけど。
今日から少し……

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