預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

「正義は勝つ」とは限らない

Ⅰコリント7章には、様々な勧めがあり、中には、結婚生活を解消せよと言ってるのか、と思えるようなものもある。だが、それらの勧めの目的は、こうだ。『あなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです』(Ⅰコリント7:35)
言い方を変えれば、世の中がある程度平和でないと、信仰生活がままならなくなるということである。
現に、2011年3月の原発爆発によって福島県いわき市に住んでいた私と家族は避難せざるをえなくなり、必然的に教会は閉ざされた。世の中が混乱すると、礼拝すら満足に行えなくなるのだ。その最たるが昔、確かに存在した「禁教令」だ。


だから、政治は大事だ。
戦争させてはいけない。
安全第一。
カネより命。


信仰を守るために私は、市民運動も裁判も行っている。もし私に選挙権があれば、当然選挙に行く。行くのが当然。行かない、なんて有り得ない。
だが選挙権がないので、市民運動と裁判ぐらいしかできない。


しかし、ある弁護士は言う。


「正義だけでは勝てない」


と。
正義しか持ってない(カネも、権力も、名声も、コネも、選挙権さえも持ってない)者は、どうすればいいのか。


頼るはメディアの力だ。
メディアを通して、市民の応援を頂くことが出来ればと思う。
ゆえに、私は、取材を喜ぶ。アピールする。自分をさらけ出す。
売名と言われようが、社会派と疑われようが、それでも牧師かと批判されようが、マスコミに取り上げられたい。
それは勿論、最終的に、信仰を守るために。


(祈り)市民の注目が裁判所を動かしますように。

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