預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

もう限界(軽度から中度へ?)

きのうは、末の娘の甲状腺検査のために佐賀の病院に行った。
久留米の病院の方が近いので、今までは久留米に行っていたが、娘も大学生になって、都合のつく日と病院の予定が合うのが佐賀しかなかったので、遠かったけど行ってきた。


まず、久留米の病院に比べて、ひっそりとしていることと、古いこと、簡素であることを感じた。「超音波診査室」というところに入ったのだが、普通の病室(相部屋)みたいに、ベッドがいくつかあってカーテンで仕切ってるだけ、というシンプルな部屋。コロナを気にしてか、入り口は開けっ放し。待合室から覗ける。仕切られたカーテンの下の隙間から、娘の脱いだ靴が見える。


しばらくして出てきた娘。
「もう帰っていいってさ」
と言う。


えっ、医師の説明は無し?


久留米では、必ず医師の説明はあった。
ここがこうで、こうで、と。
そして、そのデータを福島県立医大に送って、後日、詳しい検査結果が送られてくる。


ちなみに前回(2年前)のときは、甲状腺に無数にある嚢胞の大きさが(最初は1~2ミリだったのが)5ミリ(A判定という一番軽い判定の限界)に達していて、今回はもしかしたら5.1ミリを超えてB判定に上がってしまうんじゃないかと心配していたのだが、それを知ることは出来なかった。
そこもやはり、簡素ってことか。


まさか、わざとじゃないのか?
と帰宅してから思ったけど、あとのまつり。


福島県立医大を全面的に信用しているわけではないけど、結果報告を待つしかない。


もし何かあったら、誰が責任を持ってくれるんだろう。


「責任は私にある」って、言うだけで何の責任も取らない「森羅万象担当大臣閣下大先生様」は当てにならないし。


賠償金については請求訴訟が来週24日に判決となるけど、せめて今後の医療費ぐらいは全部、負担してくれてもいいんじゃない?

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