預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

不当判決!!

きのうの判決は、実に、がっかりした。
国の責任は無い、などと何故言えるのか。
原発は国策であり、国と電力会社がやっていることだ。
この巨大な二人組によって一方的に多大なダメージを与えられた被害者が存在しているのにもかかわらず、加害者の存在が無いとはどういうことか。
不合理。
遺憾。
そんなことではイカン。


判決文は、
簡単に砕いて言えば、
「国に責任はあるが、それを行う力が無いので責任は無い」
というような、意味不明の、破綻した理屈だ。


裁判長は、この訴訟の途中から新しく変わった人だが、比較的とっつきやすく、熱心に聞いてくれる、そんな印象の人だった。
だが、判決では主文を読み上げただけ(約1分間)で、判決理由を語らず、原告の方を見向きもせず、さっさと引っ込んだ。


その心の内は誰にもわからない。


だが私には、彼は(マスクをしていたので表情は良くは分からなかったが)苦しそうに見えた。
つまり、彼は、国の責任を認める(非常に勇気の要る)ことから逃げた。
私には、そう思えた。
「控訴して、高裁で勝ってください」
と言うことなのかと思った。
あくまでも、私の勝手な想像だが。


勿論、控訴する。
言い逃れは許されない。
弁が立って、うまく言い逃れができれば、何をしても罪にならないなんてことがあってはならないのだ。


新聞やテレビ、報道は山ほど出ているが、一つだけ載せる。
世論が高まることを望む。

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