預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

絶望感と安心感

18日の土曜日、千早に行き、火山地質学の教授の講演を聞いてきた。


まず、福岡の警固断層について。
「必ず地震は起きる」
「マグニチュード7ぐらいのものが来る。必ず」


続いて、カルデラ火山。
九州南部には多数存在する。
もう長い間大きな噴火はしていないので、マグマは溜まってる。
だから


「必ず噴火する」
「その場合、桁外れな火砕流で(温度が600~700度が時速100キロを超えるスピードで流れ)、逃げる間もなく九州全土は焦土と化し、700万人が即死する。すると、川内、玄海の両原発は完全に破壊され、放射性物質は世界中に飛び散り、火山灰は東へ降り積もり、田畑は埋もれ、通信網交通網はダウンし、あっという間に食料は尽き、多くの人が餓死する。日本は破滅する。国の存続は望めない」


「いつ来るかはわからない。明日来ても何も不思議ではない。せめて自分が生きてる間に来ないことを祈るしかない」


話を聞きながら、絶望感に包まれた。
希望がない。救いがないのだ。


「だから、そろそろかな、と思ったら私たち家族は南半球に逃げる」


と教授は言う。


「だから、原発のこともさることながら、火山のことも考えた方がいい。心配した方がいい」


って言われても、考えて心配したら対策が出て来るんですか?
……って、質問しようとして「そんな意地悪言っても仕方ないな」と思い直して、「先生の講義を大学で聞いた学生の中に海外移住した人はいますか?」と聞いた。
答えは


「いない」


まあ、おいそれと海外移住なんかできるもんじゃないからねえ。


しかし、そこではっと気づいた。
そうだ、これは、あれとそっくりだ。


あれ、とは、聖書の教えである。


人は必ず死ぬ。
それは、いつかは分からない。
しかし、明日、車にひかれて死んだとしても何も不思議ではない。
けど、明日ではないかもしれない。
結構何十年と生き続けるかもしれない。
でも必ず死ぬ。
逃げ道はない。
海外に移住しても意味はない。


ここまでは火山の話とほぼ同じだ。
しかし、聖書は唯一の逃げ道を教える。


天国(新天新地・永遠の命)


これこそ最後のセーフティネットである。
天国があって良かったあ。

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