預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

そう、しゃあーる!?

あるショッピングセンターのATMコーナーに行った。
5つの銀行のATMに多くの人が並んでいた。
お客さんたちは、自分のそれぞれの銀行のATMに並んでいるのだが、
いかんせん、列が長くなりすぎてるのと、その場所の構造上の問題で列が入り乱れてて、誰がどこに並んでいるのかわからない。


空いたところに立っていると、後ろから「並んでるんですけど!」とおばさんの声。
謝罪し、後ろに下がった。
空間が空いてたので最後尾だと思ったが、最後尾ではなかったのだ。
そんなことがあっちでもこっちでも。


なぜ、そんなことに?


そうである でぃすたんす (そうしゃる ディスタンス)である。


皆さん、マスクしてるし、黙ってるし、飛沫の心配はないのに、その上さらに1~2メートル離れようとするから大変。
そんなにする必要あるかなあ。
言わば、過剰包装だ。
新聞紙に包んだダイコンをビニール袋に入れて、それを紙の手提げ袋に入れてからマイバッグにしまうようなものだ。
電車だと、みんな密接してるのにね。



今はまだいいけど、いつかそのうち、イライラし始めた人が叫び出すような気がする。
「先の者が後になっていいのか!」とか。(7月16日の記事参照)


これは本気で心配なのだが、
マスクをしてないと殴られる、そんな風潮が怖い。
そんな世の中になることを阻止するために、出来るだけマスクをしないようにしてる。
そのかわり、勿論、しゃべらない。
エチケットは守る。
「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」と同じ、
「しゃべるなら外すな、外すならしゃべるな」だ。


普段の平日には人もまばらな(決してイオンモールのような大型ではない)小さなショッピングセンターだが、今日、ほんの少しの時間だけで、マスクしてない人を7人も見た。
ということは、そのとき実際は、もっと沢山いたはずだろう。


そうである いるのである。

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