預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ウエルダン!

明日は日曜だ。


当然、牧師として説教する。
朝は、鳥栖の教会で。午後は大野城で。
同じ説教はしない。
鳥栖の礼拝にも来て、大野城にも来る人たちがいるからだ。


だから、毎週礼拝説教は二つ用意する。


当然、一つの説教でも大変なのだし、加えて平日の集会もあるから、かなりの労力である。


そして、日曜の説教は、その要約を週報に載せるのだが、これがまた難しい。
30分なりの説教を、いかに短くまとめるか、毎回、苦心する。


だから、要約を書き終えたときには、
「ふう~、ようやく出来た」
と一息つくのである。




よく出来ました。ウエルダン!(←よう焼く)


おあとがよろしいようで。

×

非ログインユーザーとして返信する