預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ピーポー、ピーポー

今日、お昼前に、長男が救急車で運ばれた。


嘔吐を10回ほど繰り返し、腹痛もあり、起き上がれなくなって、トイレで倒れていた。
妻(長男の母親で、長男の妻ではない)が、「救急車呼んで!」 と言うので、スマホでダイヤルしようとしたとき、ふと、「え~と、確か119でいいんだよな」と1秒ほど、躊躇った。なにせ、救急車を呼ぶのは生涯で二度目だ。めったに掛ける番号ではない。


ちなみに、一度目は、8年ぐらい前か、福島から避難してきて、久留米の県営住宅(4階の部屋)にいたときだ。外でドーンという音がしたので見下ろすと、自動車と倒れた自転車、痙攣する子供の姿。うわ、なんじゃこりゃあ……と思って、速攻で救急車だと思った。が、スマホからの119番って、初めてで、ダイヤルしたはいいものの「あれ―繋がらないよー」と焦ったものだ。


さて二度目とはいえ、家族を救急車で送るのは初めてだ。
私は今日は午後二時から(もうすぐ)ズーム会議があるので、妻が救急車に同乗したのだが、さっきの連絡によると、CTには異常がなく、どうも、内耳の問題だろうとのことで、ちょうど耳鼻科の医師が今日はもう帰ったので、めまいを抑える点滴をしてるという。それで落ち着いたら帰っていいが、落ち着かなければ入院。


てっきり、急性胃炎か何かかと思ったけど、内耳とは。おそらく三半規管が乱れてのめまいなのだろう。


ゲームのし過ぎじゃないのか?
人々よ(ピーポー、ピーポー)気を付けろ。


とりあえず、内臓や脳の問題ではないみたいで一安心。


ふう、この暑いのに。変な汗かくぜい。


それにしても、めまいを抑える点滴……なんてのがあるんだと初めて知った。

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