預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

歌だ、歌だ、歌だ!

歌は良い。

クラシックも素晴らしいんだけど、そこに歌が乗ると尚素晴らしい。

人の声は、ある意味楽器であるとも言えるけど、どんな楽器より難しいかもしれない。



ん?



えっと、

何が言いたかったのかなあ。



言いたいことは一杯あるけど、それを全部言葉にすると、角がたつと言うか、反感とか反発とか、もしかしたら人を傷付けることもあるかもしれない。


刃のような言葉は、出来るだけ出さないほうがいい、ってのは分かってはいるけれど、思いを押し込めるのも苦しい。



だから、歌。



典型的なのが、レナード・コーエンの「ハレルヤ」だろう。


聞き手によっては、特にクリスチャンにとっては、名曲とされる。


けど、あれは実は、神とか信仰とかとかいうものに対する痛烈な批判なのだと思えてならない。


「は? 賛美? あんた、そんなことに興味ないだろ?」


それは、神を信じない人に言ってるんじゃなくて、神にじゃないのか、と。


つまり、実は、神は無慈悲だと言ってるのではないのかと勘ぐるのである。


どんなに祈っても、熱心に信仰しても、、、


それは、遠藤周作が「沈黙」に書いたように、、、。


もっとも、それも、私の解釈は違うけども。


「神は必ず助けてくれる」と教えたくせに、なんだよこの現実は!


という批判なのだと理解する。



ああ、だんだん、取り留めなくなってきた。


ズバリと言うより、歌なら、聞き手次第で、いかようにも受け取られる。


ああ、思い出した。

クラシックもいいけど、

クラリネットやオーボエや、トランペットとかをほぼ主役にしたかのようなKing Crimson (Islandsとか、Lady of dancing waterとか)、これでもロックなんだぞ?

って、吹奏楽をやってる息子(23歳)に教えてたんだった。

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