預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ああ、勘違い。

今日の日曜の朝、鳥栖での礼拝を終えて、午後からは車で30分ほどの大野城市での枝教会の礼拝。


それが終わって帰る道すがら、前を走る車が、ちょっと見たことのない変わった車で、信号待ちで近づいて見たら、ポルシェって書いてある❕


しかし、よくあるスポーツカーのスタイルではなく、なんとなくミニバンか、SUVっぽい。


「うわっ、これポルシェやん!」と思わず声が出た。すると、助手席の妻が、何を思ったか「ポルシェって、日産?」と言うから、さすがに「ワッハッハ!」「そんなこと言うたら怒られるで?」と言うと、「だって、同じハンドルって言うてたやん!」と言う。


「はあ? ああ、あれは、フェアレディZや」


ええと、少し前に車を買い換えて、今、日産のジュークって車に乗ってて、それのハンドルがフェアレディZと同じって話をしたのを覚えてたんだね。


だから、スポーツカーを見て、「それだ」って思ったらしい。


しかし、いくらなんでも「ポルシェって日産?」はないだろ。


怒られるで、いやほんま。






以上、許可を得て書いてます。

(*_*)

×

非ログインユーザーとして返信する