預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

本当の・・・(ヨハネ8:31~32)

8:31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」



 どうすれば自由になれるのか。「①真理を知れば」と主は言われた。真理とは何か。簡単に言えば、「真実な道理・本当のこと」だ。


 本当のことを知らないせいで愚かなことをしていた、ということがある。知れば、「なあんだ、そうだったのか」と、その愚かなことから解放される。特に、霊的なこと・死後の問題・神……についての真理・本当のことを知らないまま変な固定観念に縛られている人は多い。


 例えば、「13日の金曜日」。キリストが殺された不吉な日、と一般的に認識されている。が、しかし、本当は正反対。それは、キリストが十字架で死んで、人間の罪を処分してくれた日、救いの道を開いて下さった日、グッド・フライデーなのだ
 他にも、「信じる者だけ救う、というのは心が狭い。キリスト教は排他的だ」というような声を聞くが、本当は、「誰でも救われる」と聖書は教えている。そして「全て疲れた人重荷を負っている人はわたしのところに来なさい」と主が言われた通り、排他的なのではなく、逆に、全ての人を招いているのである。本当だから、嘘じゃないから、信じなさい、と言っているのであって、信じた者にはそれが本当だ(真理だ)と分かるのだ。


 どうすれば、真理を知ることが出来るのか。主は言われた。「②本当の弟子になれば」、と。
 驚くべきことに、主は、それを「信じたユダヤ人たちに言われたのである。つまり、キリストを信じたけど、まだ本物ではない信者がいる、ということだ。


 では、どうすれば、本当の弟子になれるのか。「③わたしの言葉にとどまるなら」と主は言われた。そのことを教える為に、「ぶどうの木と枝」のたとえ話がある。木から離れた枝が枯れてしまうように、神から離れた人間は(たとえ一時的に、生け花のように、見事に咲き誇ることはあっても)、やがて枯れてしまうのだ。


 では、どうすれば、キリストに「とどまる」ことが出来るのか。それは、御言葉に従う(実行する)ことだ。「信じる」という観念的なところにとどまっているのではなく、その信じた御言葉に従って行動する、それが「キリストにとどまる」ということなのだ


ーーただし、御言葉をどう信じるか……自分勝手な解釈で信じるのか、本来の意味・真意を汲み取って、信じるのかにもよる。当然、後者であるべきだーー


そうすれば、本当の弟子となり、真理を知り、(『わたしが道であり真理であり命だ』と言われた、その)真理である主イエス御自身が、その全能の力をもって、あなたを自由にする。

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