預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

時は流れて

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年の瀬・年末が近づくと、焦る。


今年も、目標に達せないまま、結果を出すことの出来ないままに、一年が終わろうとしている。


残された時間は僅かだ。
もうだめだ。
今年も無駄な一年となってしまうのか。
年が明けたら、また振り出しだ。やり直しだ。

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これが、今から約40年前(20歳ごろ)の私が唱えた「一年振り出し論」である。


だから、あのころは、年末はもとより、正月なんか、なにも嬉しくなかった。


なにがハッピーニューイヤーだ。浮かれてる場合か! 3、2、1、ゼロ! って、カウントダウンして、おめでとう! って、一秒前と何が変わった? 今日は昨日の延長だ。今年は去年の延長だ。時間は連続してる。どこかで区切るなんてナンセンスだ。川の流れる水をどこで区切れる? 新しい年じゃなくて、いつもと何も変わらない年じゃないか


と、心で毒づいていた。
まあ、言ってることは決して間違いではないのだが。




そのような「一年振り出し論」を聞いた、当時のバンドのメンバーが「確かに…」と笑った。




何をそんなに焦っていたのか。


音楽で飯を食って行こうと必死になっていた。
20歳の頃(その前後10年間ぐらいの間に)多くのバンド仲間と知り合いがプロデビューしていた。
中には、有名な レ〇ジー ~ ラウ〇ネス を結成する同級生と先輩がいたし、メイク〇ップ、サ〇ズ、〇〇ブラザーズとか・・・


そんな中、取り残されまいとして焦っていた。
市民会館などでコンサートを開いて、200人くらい集めたりもしていたが、なかなかチャンスが来ないまま、年末を迎えるたびに「結果を出せない虚しさと焦り」を感じていたのだ。




今も、「時は連続している」という考えは変わってはいない。
大晦日夜中12時を超えた瞬間に「今年もよろしくお願いします」と妻から言われると少し戸惑う。


けど、還暦を迎えようとする今、少し心境は変わった。
今年もあと僅か
ではなく、
人生もあと僅か
と、尺度が変わった。


残された時間は、10年か、20年か。
仮に20年としても、元気で動けるのは、やはりあと10年か。


この10年の間に何とかしなければなあ


とは思うが、
焦りというより、楽しみだ。
何か出来るような気がする。
引っ越しするかもしれない。
どこか駅の近くに住みたい。


よし、最後の力を振り絞って、がんばろう。

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