預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

餅屋だからモチや

4日前(12月11日)の記事に、


さあ、来週はキリスト教出版社の雑誌のZOOM取材だ。
今日みたいに、言い過ぎないように気を付けなきゃ。


と書いた。


その取材がさきほど終わった。
気が付いたら1時間半ほど経っていた。


そんなにしゃべったかなあ?
と思うけど、やっぱり何が違うって、
普通の新聞とかテレビの取材と違って、











聖書の話が出来るのが楽しい。



ということに改めて気付いた。


やっぱりなんだかんだ言って、
牧師だから。
餅屋はモチ。
牧師は聖書。




その雑誌が出るのは、来年の3月号だそうで、
忘れた頃に来るってやつですな。


記事は、基本的には、拙著「明日は来るのか」(2013年)

在庫、我が家にあります。

を土台に文章を作り、
それに今日のインタビューから文字起こしして足すとのこと。


「出来れば、プロフィールに、最新の著書『・・・』って、入れてくれない?」
って聞くと、「喜んで」と言ってくれた。

アマゾンで買えます。


更に、厚かましく、「控訴審に向けてのクラウドファンディングも・・・」と頼んだ。

反響あるといいな。

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