預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

きちんとした食事を(マタイ24:44~51)

24:44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
24:45 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。
24:46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
24:47 まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。
24:48 ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、
24:49 その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、
24:50 そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
24:51 そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。



 再臨・世の終わりは、『思いがけない時に来る』。


 その「時」に、どのようにしているしもべが幸いか。それは、主人から任されたしもべ達に食事を与えるしもべだと45~46節で主は言われた。要するに、それは、主のしもべを養うしもべ頭(牧師)のことだ
 それも『きちんと』『忠実に思慮深く』である。すなわち、霊的な食事(御言葉のメッセージ)を、きちんと、思慮深く(添加物の混じっていない純粋な御言葉)与えることが求められているのである。


チキンばかりではなく、野菜も、きちんと。 笑



 それをしない「悪いしもべ」とは、偽りの教えを語る者ということだ。彼は厳しく罰せられ、偽善者と同じ報いを受ける
 マタイ6:1~5から察するに、その報いとは、人からの称賛を受けるだけで、神からの栄誉は受けられない、ということだろうけれども、最悪の場合、地獄ということもあるかもしれない。何故なら、偽りの教えは、滅びに至ると聖書は言うからだ(Ⅱペテロ2:1、3:16)。
 それゆえに、ヤコブは、「教師は、格別きびしい裁きを受ける」(ヤコブ3:1)と言っている。


 天国の確信を持っていないクリスチャン、純粋な御言葉に飢えたクリスチャンが沢山いると聞く。


 しもべ頭(牧師)の責任である。

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