預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ぼかぁ、幸せだなあ。

先月、入院したのだけど、13日間も入院するなんて生まれて初めてのことかもしれない。


最初の3~4日は、さすがにしんどかったから寝て過ごし、やや楽になってからはスマホで時間をつぶしていたので、時間はあっという間に過ぎて行った。


しかし、元気が出てきてから退院までの4日ほどはキツかった。
元気が出たのにキツイとはどういうことか。
それは、元気なのにすることが無いのが辛かったということだ。


スマホも飽きた。
テレビは見ない。(有料だし)
仕事はできない。
パソコンも無い。
音楽も聴けない。


ただぼーっとしてるだけ。
もはや食事の時間を心待ちにするのみ。


窓の外は、冬の荒廃した風景。(田舎の森の中の病院だったので


しまいには




「何のために生きてるんだろう」


とさえ思い出してきて、



閉鎖している教会のこととか(もう、このまま信徒の方々は教会に来なくなっちゃうんじゃないか、とか・・・)残りの人生、どうやって生活するかとか、考えると




「もう何もかもどうでもいいや」


という気になってしまったりした。





で、退院して、普段の生活を取り戻して、
つくづく感じたのは、


「幸せだなあ」


ということ。


その感覚が、毎日、ふとしたことで感じられて、
そのたびに「幸せだなあ」とつぶやいた。


それは、退院して6日になる今日も、まだ残ってる。


することがある、仕事ができる、


ああ、それは幸せだ。

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