預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

危ない! ひえ~(ローマ5:1~5)

5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。



 失望に終わることがない、と聖書の言うその「希望」を生み出すのは、練られた品性であり、それは忍耐によって生み出され、忍耐は患難によって生み出されるという。


 では、患難を生み出すものは何か。何が患難の元(その一番の始まり)か、それが問題だ。


 何事にも、始まり(事の起こり)、原因というものがある。例えば、風邪。体を冷やしたせいで、免疫力が落ち、ウイルスに対する抵抗力が弱くなり、感染してしまう。つまり、原因は「冷え」だ。よく言われるように、「冷えは万病の元」なのだ。そして原因が分かれば、予防も解決も可能となる。そう、体を温めればいい


 しかし人生には病気以外にも様々な問題がある。悩み、不安、恐れ、極めつけは死だ。それらは命にかかわる大問題であり、なんとか解決したいと誰しもが願っているはずだ。その為には、それらにも当然あるはずの原因(そもそもの始まり)を知らなければならない
 そのことについて聖書は、初めの人間であるアダムが神に背いたことが始まりであるという(ローマ5:12参照)。それまでは、エデンの園で神の愛に包まれ温かく守られていたしかし、罪(神との断絶)によって、言わば、心が冷えてしまったのである。やはり「冷えは万病の元」と言えるだろう。
 とにかく、神に背く「罪」、これが全ての問題の根本的原因である。そこで、自ずと対策は浮かび上がる。神との断絶で心が冷えたのなら、神の愛で心を温めればいい。神との関係を回復させるのだ。神との平和、それが希望への始まりである


 ただ、体を温めたからといって、この世からウイルスがなくなるわけではないのと同じように、神の愛で心を温めても、問題という病原は入って来るかも知れない
 しかし、心を温めれば抵抗力がつく。つまり、患難が来ても、忍耐(抵抗力)が発揮されるのだ。そして、練られた品性を生じさせ、希望を生じさせるその希望は失望に終ることがない。何故なら、聖霊によって神の愛が心に注がれているからだ、と御言葉は続く。神の愛が注がれる限り、希望は失望には終わらないのだ。そして聖霊は、私達を神の愛の中へと導く。
 今、心を開いて、聖霊に導かれて、心に神の愛を更に豊かに注がれるよう求めよう。

×

非ログインユーザーとして返信する