預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

詩篇119 その⑥(57~64節)

 神の言葉に従います、という決意の言葉だと言える。ただ、疑問は62節だ。寝る前に一日の感謝を…と言うのなら分かるが、何故「真夜中に起きて感謝する」と言うのか。それが祝福の秘訣だと教えているのだろうか。私達も、同じように夜中に起きるべきなのだろうか


 状況を可視化しよう。詩人は、憐れみを求めている。何らかの問題があるのだ。それを語るのが59節以降だ。まず、人生を振り返って、間違っていたことに気付き、悔い改める、それが59~60節であり、これからの人生で迷いの時には神に従いたい、ということだ。


 そこで、詩人が抱える問題は何か。それは、何が御心なのかが分からないということである。それが分かっていれば間違わなかったのだから。もう一つ、詩人の悩みは敵の攻撃である。病なのかもしれないが、いずれにしても、それが巻き付いて苦しい(61節)、それが、この状況だ。それで分かるのは、詩人は「祝福の秘訣だから」ではなく、悩みと苦しみで夜中に目が覚めてしまっている(熟睡出来てない)ということだ


 そんなとき、何を感謝すればいいのだろう。それは、信仰によって全ての問題の解決が約束されているということをだ。すなわち、天国(新しい体、永遠の命)である。ゆえに、それが私の分です、と詩人は言う。それが57節の「主は私の受ける分です」だ。つまり、主が自分の神となって下さる(いつも主と共にいるようになる=天国に入る)と信じるということだ。それが神の教え・さとし・掟であり、それを守りますから「御言葉の通りに憐れんで」と求めているのである。


 何しろ、人生を振り返ってみたら、危ない時があった。それで慌てて悔い改めたのだ。しかし、今後も人生何が起きるか分からない。だから私達も、詩人と同じように、もし、どうしようもない悩みの(夜中に目が覚める)時が来たら、天国を感謝するべきなのだ。それが、悩み苦しみの多い地上の旅路を行く為の力だ。天国への旅、それがこの世の人生なのである。
 しかし、旅の途上では、悪者の網も絡み付いて来る。だから道に迷わないように神の掟を教えて下さいと詩人は求める。私達も、主こそ私の受ける分だ、という神の掟を魂に刻み付けて歩もう。

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