預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

誰が呪ったのか

いずれ、近々、ここに載せることになるが、前倒しで少しだけ・・・


詩篇109:17


彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。



これは、「精神医学の基礎でもある」とも言われたりする。


人を呪うと幸せにはなれないよ、祝福すれば自分も祝福されるよ」と教会では語られるだろう。



だが、しかし、預言書としての詩篇である。



結論だけ言うと、これは、「キリストを呪ったイスラエルについて」語られているのである。


せっかく来た約束の救い主を、妬み、呪い、殺した。イスラエル。
それゆえに、その呪いが自らに返ってきた(裁かれた)。


本来、祝福すべき「救い主の到来」を喜ばなかったので、「救い主到来による喜び」はイスラエルから遠く離れてしまった、ということの預言だったのである。




拡大解釈よりも、
応用よりも、


大事なのは、本質。





おまけ
ブログ書きながら、仕事も少しづつ進めてます。

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