預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

2022年8月のブログ記事

  • 詩篇115(彼らとは誰ら)

    (詩篇本文は、ご自分の聖書にてご確認ください)  一見、信仰的な詩のように思える。が、何か違和感がある。  まず1節は、イスラエルの謙遜から出た言葉なのではなく、詩人による(イスラエルが律法主義をやめますようにという)執り成しの祈りだ。  律法主義は、自分の力で自分を救おうとする(その点で偶像崇拝... 続きをみる

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  • 詩篇114(脱出!)

     出エジプトという「救いの青写真」(それは、第二の出エジプトである「バビロン捕囚からの解放」を経て、第三の出エジプト「キリストによる救い」へと昇華する)を通して語られる詩なのであり、言わばクリスチャンにとっての「ハレルヤ詩篇」である。  事実、クリスチャンは、出エジプトと同じように、この世から脱出... 続きをみる

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  • 詩篇113(今から?)

     主をほめよ(1~4節)である。しかし「とこしえまで」と言うのはいいが、何故「今より」(2節)なのか。「とこしえからとこしえまで」主はほめられるべきではないのだろうか。  「今」…それがいつにせよ「今から」ということは、そこに何かの境目がある。何かが大きく変わった(以前とは違う)区切りということだ... 続きをみる