(詩篇本文は、ご自分の聖書にてご確認ください) 一見、信仰的な詩のように思える。が、何か違和感がある。 まず1節は、イスラエルの謙遜から出た言葉なのではなく、詩人による(イスラエルが律法主義をやめますようにという)執り成しの祈りだ。 律法主義は、自分の力で自分を救おうとする(その点で偶像崇拝... 続きをみる
2022年8月のブログ記事
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出エジプトという「救いの青写真」(それは、第二の出エジプトである「バビロン捕囚からの解放」を経て、第三の出エジプト「キリストによる救い」へと昇華する)を通して語られる詩なのであり、言わばクリスチャンにとっての「ハレルヤ詩篇」である。 事実、クリスチャンは、出エジプトと同じように、この世から脱出... 続きをみる
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主をほめよ(1~4節)である。しかし「とこしえまで」と言うのはいいが、何故「今より」(2節)なのか。「とこしえからとこしえまで」主はほめられるべきではないのだろうか。 「今」…それがいつにせよ「今から」ということは、そこに何かの境目がある。何かが大きく変わった(以前とは違う)区切りということだ... 続きをみる