預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

大変な一日でした

きのうの朝はクリスマス記念礼拝で、午後は祝会。その祝会を途中で抜け出して、葬儀の司式へ。日曜日という事もあり、道路は大混雑で、もともと「ギリギリにしか来れない」と斎場には伝えていたものの、5分ほど遅れて到着。「牧師様到着です!」と斎場の職員さんたちが色めき立つ。火葬場の最終受付に間に合わせるためにはもう時間の余裕がない。だからと言って手抜きはできない。それでも配慮して間に合う時間に終えたが、喪主のご挨拶が思いのほかたっぷりで、結局、出棺予定時刻は15分を過ぎた。霊柩車が先に行き、後から追うが、やはり混雑。急げ急げ! と走ったら、火葬場に到着は予定時間ぴったり! ところが、霊柩車がまだ着いていなかった! どこで追い越した? 違う道を通ったのか。しばらくすると霊柩車も到着。やや遅れて、喪主とご遺族も。「そろいましたね」と確認して、火葬前式を始めたが、終わったころにバラバラと遅れて来られた方が。うわーと思ったが後の祭り。仕方ない。猶予はない。そのまま棺は炉の中に。1時間少しのち、収骨。怒涛の一日。


今日は、これから裁判所に行って、「福島原発事故被害救済九州訴訟」の結審で最終弁論をする。マスコミも多数来るようなので、夕方のニュースに流れるだろう。地方だけかな? とにかく、ブログ書いてる場合ではないのだが、祈って頂ければと。

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