「裕福で争いがある」より、「貧しくても平和」が良い、と聖書は言う。それに対して、「アーメン」と言える心でありたいが、いざ本当に貧しくなればどうだろう。例えば、夕食にパン一切れしかないなら、その家庭(夫婦間)には争いが起きるかもしれない。それゆえに裕福を求めるわけだが、そこで逆にまた競争、争いが起... 続きをみる
2019年10月のブログ記事
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発売から約一か月しか経ってないのに、もう中古品が出回ってる。 しかも、新品の倍の値段で! 新品買えるのに、なんで? 摩訶不思議。 ただいま、Amazon売れ筋ランキング38位です。 100位以内に出たり入ったり、しがみついてます。
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主は、ソドムとゴモラを滅ぼそうとされた。その町に住んでいたロトとその家族は、ノアとは違って、決して「神の前に正しい」とは言えないが、主はロトを憐れみ、救い出そうとされ、『いのちがけで逃げなさい。この低地のどこででも立ち止まってはならない』と言われた。そのあたりの低地一帯は危険な領域だからであろう... 続きをみる
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神は7日目に、全ての創造の業を休まれた。そして、その日を聖とされた。安息日に働いてはならない、という教えは、これに由来する。 しかし実際は、『父は今に至るまで働いておられます』と主が言われたように、神は休養を必要とするようなひ弱なお方ではないし、常に私達の祈りに耳を傾けておられるお方である。『... 続きをみる
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聖所(エルサレム)が踏みにじられているから助けて、と訴えている。それは歴史的には、BC586年のバビロンによるエルサレム破壊~バビロン捕囚の事だ。その後、帰還した人々の中にアサフ族がいて、賛美を導く務めを担った。つまり、この詩は、既にバビロンから解放された時点で書かれているという事だ。もう済んだ... 続きをみる
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主のはかりごとだけがなる、と聖書は言う。では、主のはかりごと(神のご計画)は何か。それは、『災いではなく、将来と希望と平安を与える計画』(エレミヤ29:11)であり、『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないものを備えている』(Ⅰコリント2:9)、... 続きをみる
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快適さのためには、ゆとり、余裕、緩やかな部分、というものが欠かせない。車のハンドルで言えば、「あそび」が必要だということだ。服もそうであるように、厳密過ぎてもルーズ過ぎても不快となる。『過ぎたるは及ばざるがごとし』という言葉の通りだ。 さて聖書も、正し過ぎてはいけない、悪過ぎてもいけない、知恵... 続きをみる
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10月1日全国発売された拙著『苦しくならない聖書の本』~福音の真理・命を守りたくて~ アマゾン売れ筋ランキングの50位くらいと100位より下とを行ったり来たりしております。非力ながら、奮闘中です。 出版社のサイトに「著者の声」として掲載されてました。よろしければお読みください。
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神のなさることは全て時にかなって美しい……はずであるが、つい、「神様、何故ですか!」「どうしてですか!」「まだですか!」と不平をこぼしてしまいやすい。時には、神様に見放されたと感じることもあるかもしれない。それは、聖書が言うように、神のなさることを初めから終わりまで見極めることなど出来ないのだか... 続きをみる
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1~3節のイスラエルの悔い改めの言葉は、本気ではなく、その場しのぎのお題目である。神は、そんないけにえより、誠実を喜ぶ(つまり、全焼のいけにえより、神を知ることを喜ぶ)。 本当の信仰者は、神を知っている。私達は、神を信じるだけでなく、知ることが必要だ。 勿論、見ずに信じる者は幸いである。私達... 続きをみる
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神はイスラエル(本当の意味での…、神の約束を信じて生まれた神の子)に対して慈しみ深い。しかし、と詩人は、それに反するかのように自らの歩みは「すべるばかりだった」と言う。その理由は、悪者が栄えるのを見て妬んだからだと。神に背く者が(神に従わないのに)何故栄えるのか。神のしもべが何故苦しみに遭うのか... 続きをみる
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「神は慈しみ深い」という宣言である。ただし、イスラエルには、である。同時に、心の清い人に。それはつまり、ヤコブ(神を求める一族=イスラエル)であると詩篇24は言う。では神はイスラエル民族以外には目もくれず、慈しみも示さないのか。それ以前にイスラエル人は皆、心が清いのか。いや、イスラエルという国に... 続きをみる
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悪者(4節)とは誰か。この詩を書いた時、詩人(ダビデ?)はかなり高齢であったと思われるが、問題は、老いても尚まだ信仰の戦いの中にある(悪者に攻撃されている)という事だ。9~13節を見ると、あたかも惨めな晩年を送っているかのようにも思える。しかし、決して神に失望してはいない。むしろ後世に伝えたいと... 続きをみる
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40篇13~17節と同じ詩である。まさか、既に書いた事を忘れたわけではあるまい。では何の為に同じ事を2回も書いたのか。それは表題にある通り「記念の為に」だ。そこが40篇との違いである。 詩篇には、アルファベット詩という形式のものがあるが、それは聞く者(読む者)に何かを覚えさせる為の形である。し... 続きをみる
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この詩からの引用が新約聖書には多くある。22篇同様のメシア詩篇だと言えるかもしれない。つまり主は、ここに示された通りの苦しみを受けられたという事だ。それも、故もなく(4節)、不当に。その事を、まず「彼らは理由無しに私を憎んだ」(ヨハネ15:25)と引用しているのだが、本当に理由が無い訳ではない。... 続きをみる
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この詩の全体像を眺めたい。31節まではイスラエルの歴史(出エジプト、その後の荒野での旅路~カナン征服~シオンが神の家として選ばれる~イスラエルの周りの国々を打ち負かす~ダビデの勝利の凱旋)である。そして、それは実は、単なる歴史ではなく「救いのプロセスの青写真」であり、それを雛型として(同じ様なプ... 続きをみる
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祝福を求める詩、と言うより、祈りである。しかし僅か7節の短い詩の中で3度「祝福して下さい」と願うのは、祈りの本質(願い事ではなく賛美)から外れている(もしかしたら「御利益信仰だ」)と言われるかもしれない。しかし、それが神のメッセージのはずはない。 そもそも信仰とは、自分が信じたい事を勝手に信じ... 続きをみる
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