預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

詩篇57

 56篇とよく似た構造の詩であり、一つ一つの言葉からと言うよりも、全体のストーリーから一つのメッセージを受け取る詩であろう。そこで、理解のポイントは7節からだ。まず『私の心は揺るぎません』と詩人は言う。それは勿論、神を信じるが故であるが、もし真の神を知らなかったら潰れてしまったかもしれない、という事でもある。確かに神は、信じる者に助けを与え、支え、守り、慰めを与えて下さる。それは事実だ。私達はそのような体験をしている。その事実を忘れてはいけない。ところが、忘れるのが人間だ。それゆえに聖書は「主の良くして下さった事を何一つ忘れるな」と釘を刺す。そして詩人も「我が魂よ、目を覚ませ」と。
 魂は、目覚めて何をすべきだろう。それを詩人は楽器になぞらえて言う。「竪琴よ目を覚ませ」と。楽器がケースの中で眠っているのは、宝の持ち腐れだ。楽器は音を奏でる為に存在している。同じ様に、魂は闇の中に押し込められるべきではない。魂は、うなだれる為のものではないのだ。楽器の様に、奏でる(神を賛美する)為、神を喜び歌う為にある。だから「魂よ目を覚ませ」と言うのだ。神の恵みに気付き、思い出す事こそ、闇を照らす光である。
 続いて「暁を呼び覚ましたい」(早く朝になれ、闇よ去れ、光よ輝け、という事)だ。それは、問題の解決を期待する事を意味し、神の恵みを味わえる事を待ち望んでいるのだ。うなだれた魂が起き上がる事を願っているのである。そう、魂の目覚めを。そうすれば大胆に賛美が出来る。何故なら神の恵みは天にまで及ぶからだ。この事実を忘れてはいけない。魂を目覚めさせ、神を崇めるべきなのである。
 魂という楽器を、押し入れに仕舞い込むように闇の中に押し込めてしまってはいけない。たとえ、どれほど漆黒の闇のような時を過ごしていたとしても、心が折れそうでも、忘れてはいけない。神を信じる者には、神の助けがある。夜明けは必ず来る。神の栄光の現れる時が来る。その時には、詩人が言うように「国々の民の中にあって、あなたに感謝し、褒め歌を歌いましょう」となる。そんな夜明け(暁)が早く来るように(私は暁を呼び覚ましたい)と、祈り求めよう。

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