預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

2023年7月のブログ記事

  • 詩篇119 その⑳(169~176節)

     詩人の心からの叫びである「御言葉の通りに悟りを得る」ことと、「御言葉の通りに救われる」という切なる願い、両者はほぼ同義と言える。そして、それは119篇の結論であり、聖書の目的である。この「目的」は決して見失ってはいけない。見失ったら、何の為の信仰か分からなくなる。溢れる感謝、賛美の源泉は救いの喜... 続きをみる

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  • 詩篇119 その⑲(153~168節)

     「偽りと惑わしで、永遠の命を見失わせようとする敵がいる。だから、神の定めの通りに信仰によって救って下さい」という154~156節は既出だが、大事なことなので繰り返されている。  さて、敵は「君主ら」(新共同訳では「地位のある人々」)だ。宗教指導者達がイエスを迫害したのと同じ構図である。しかし、神... 続きをみる

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  • 詩篇119 その⑱(145~152節)

     主イエスは、朝早くまだ暗い内に起きて祈ったと福音書に記されている。詩人も「夜明け前に起きて叫び求め」る。しかし、これは決して「早天祈祷会」のお勧めではない。詩人は、そうせざるを得ない状況にある(ゆえに必死に神に訴えている)のであって、それは62節にもあったように、夜も眠れない程の苦しみなのであり... 続きをみる

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  • 詩篇119 その⑰(137~144節)

     「涙が川のように流れます」(136節)とあるが、そんなに出るわけがない。当然ながら「川のように」は詩的な表現であって事実ではない。いくら聖書とは言え、何でもかんでも「文字通り」に信じるのではなく「聖書は何を言わんとしているか」を読み取るべきなのである。  とにかく詩人は、御言葉を非常に愛している... 続きをみる

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