預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

旧約聖書のブログ記事

旧約聖書(ムラゴンブログ全体)
  • 詩篇129(都上りの歌⑩)

     「さあ、言え」と、124篇と同じパターンで始まる、神の守り(たとえ敵の中にあっても神が助けてくれるという事)についての詩である。  確かにイスラエルは、エジプトの奴隷から救い出され、バビロン捕囚からも解放された。それゆえ「神は必ずあなたを守る、それが信仰だ」と言われる。では何故、殉教したクリスチ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇128(都上りの歌⑨)

     「祝福」それを要らないと言う人はいないだろう。むしろ、何にも増して求めていると言えるかもしれない。そして聖書は言う。主を恐れる人は祝福を受ける(4節)と。  ただし、それは主を恐れた結果として付いて来るものであって、祝福は決して目的であってはならない。所が、ともすれば祝福が目的化されて、信仰はそ... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇127(都上りの歌⑧)

    都上りの歌。ソロモンによる 127:1 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。 2 あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇126(都上りの歌⑦)

    126:1 主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。 126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」 126:3 主は私たちのために大いなること... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇125(都上りの歌⑥)

     エルサレムは山々に取り囲まれた地形ゆえに難攻不落な町であった。それと同じように神は御民を守るという(1~2節)。すると、信仰者は風邪もひかず、事故にも遭わないと? いや、この世にあっては患難がある。それは認めなければならない。問題は、何から守るのかだ。  根本的に、聖書が教えるのは、天国・救いへ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇124(都上りの歌⑤)

     この世には2種類の人間がいる。霊的に、神の側に居る人と、そうでない人だ。もし、神に敵対する側に居たら滅びる、というのが2~5節である。だから、もしも神が味方でなかったら、と想像してごらん(1節)と言うのである。神だけは敵に回すべきではない。  ただ、神が味方とはどういうことか、だ。神の側に居るの... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇123(都上りの歌④)

     神の憐み・助けを求める詩人は、嘲りと蔑みでもう一杯だ(4節)と言う。決して命を狙われているわけではないのだが、詩人は追い詰められている。誰にか。安逸を貪る者(新共同訳:平然と生きる者)達、すなわち、神を知っていながら神に逆らって平然と生きる人達にだ。  律法に従うなら、彼らは「死刑」となる(例:... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇122(都上りの歌③)

     「さあ、主の家(エルサレム)に行こう」と人々が言うのを聞いて詩人は喜んだ。何故か。それは、壊れていたエルサレムの町が復興したということだからだ。そう、これはネヘミヤの時代の詩だと言われている。「そうか、ついに、やっと再建したのか」と思って詩人は喜んだのである。それが、この詩を理解するための土台だ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇121(都上りの歌②)

     とにかく「神はあなたを守る」ということだ。  が、そう聞くと「そうか、病気にはならない、事故にも遭わない、貧乏にもならないのだ」と信じたがる人が多いだろう。しかし主が言われた通り「この世にあっては患難がある」のだ。それを受け入れなければ、多くの人が殉教したことの説明がつかない。まさか、その時は神... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇120(都上りの歌)

     都上りの歌である。祭司が神と人との仲介をしなければならない時代において、エルサレムで生贄を捧げ正式な礼拝を捧げることは必須なのだが、特にこの時、詩人は敵の偽り・欺きに囲まれていたがゆえ、余計に神を求めたのである。  敵とは、詩人が平和を語ると闘いを望む、そんな平和を憎む者達・真の神を受け入れない... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇119 その⑳(169~176節)

     詩人の心からの叫びである「御言葉の通りに悟りを得る」ことと、「御言葉の通りに救われる」という切なる願い、両者はほぼ同義と言える。そして、それは119篇の結論であり、聖書の目的である。この「目的」は決して見失ってはいけない。見失ったら、何の為の信仰か分からなくなる。溢れる感謝、賛美の源泉は救いの喜... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇119 その⑲(153~168節)

     「偽りと惑わしで、永遠の命を見失わせようとする敵がいる。だから、神の定めの通りに信仰によって救って下さい」という154~156節は既出だが、大事なことなので繰り返されている。  さて、敵は「君主ら」(新共同訳では「地位のある人々」)だ。宗教指導者達がイエスを迫害したのと同じ構図である。しかし、神... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑱(145~152節)

     主イエスは、朝早くまだ暗い内に起きて祈ったと福音書に記されている。詩人も「夜明け前に起きて叫び求め」る。しかし、これは決して「早天祈祷会」のお勧めではない。詩人は、そうせざるを得ない状況にある(ゆえに必死に神に訴えている)のであって、それは62節にもあったように、夜も眠れない程の苦しみなのであり... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑰(137~144節)

     「涙が川のように流れます」(136節)とあるが、そんなに出るわけがない。当然ながら「川のように」は詩的な表現であって事実ではない。いくら聖書とは言え、何でもかんでも「文字通り」に信じるのではなく「聖書は何を言わんとしているか」を読み取るべきなのである。  とにかく詩人は、御言葉を非常に愛している... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑯(129~136節)

     御言葉の戸が開くと、光が差し込み、悟りが与えられる。誰にか。「わきまえのない者」にだ(130節)。それは原語では「何でも受け入れてしまう単純な者」のことなのだそうだ。  その点、残念ながらキリスト教会は「何でも」受け入れて来た。例えば心理学。それ自体悪いものではない。が、キリスト教に組み込む必要... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑮(121~128節)

     「今こそ主が事をなさる時です」(126節)と詩人は言う。「事」とは? 裁きだろうか。いや「裁いて下さい」とは言っていない。むしろ「それゆえ…あなたの仰せを愛します」(127節)という方向に詩は展開する。しかし同時に詩人は、自らが「死にそうだ」と訴えてもいる(123節)。だからこそ「主よ、今です!... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑭(113~120節)

     詩人は神を恐れ、神の掟から迷い出る者への裁きを恐れるがゆえ、自らがそうならないように「支え、生かして下さい」と願う。何故なら、詩人を悪に染めようとする敵(二心の者共)がいるからだ。  ヤコブは「二心の人達。心を清くしなさい」と言う。心の中に神への信頼と疑いがある(混じり気がある)から、疑いを取り... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑫(97~104節)

     どんなにか、分からないほど御教えを愛している(97節)と詩人は言う。自信満々で自惚れが強いと感じるかもしれないが、これは「愛」とは何か、という問題だ。それは「好き」ではない。神を愛するとは、神の命令を守ることだとヨハネは言う。  では神の命令は何か。それは「心を尽くして…神を愛せよ」が一番大切な... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇119 その⑪(89~96節)

     天地創造が完成したのちは、全てのものが神の定めに従って自ら動いている。人も、遺伝子に書き込まれた情報に従って生まれるようになった。それを89~90節は支持する。この教えを喜びとするなら、悩みは消え、生きる力となる(92~93節)。  しかし、その「主の御言葉によって生きる人」を滅ぼそうとする敵が... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑩(81~88節)

     詩人は「絶え入るばかり」だ(新共同訳では「衰えた」)と言う。それも「救いを慕って」である。つまり、死にそうな状態でまだ救いが来ていないということだ。82節でも、御言葉の慰めはいつになったら来るのか、と訴える。詩人は余命幾ばくも無い老人なのだろうか。あるいは、例えばパウロについての預言的な個所と取... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その⑨(76~80節)

     詩人は、一時は信仰が「的外れに」なってしまっていた。それが「罪」である。つまり、「罪を犯すな」と言うのは「的を外すな」ということなのであって「嘘とか盗みとかの細々とした悪事を避けて聖い人になれ」ということではないのだ。それらは的外れの結果起きることに過ぎない。本質ではないのである。  アダムとエ... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇119 その⑧(73~75節)

     人は神に造られた。これはクリスチャンの信仰の大前提だと言える。加えて、「神は一人一人を個性的な最高の作品として丁寧に造って下さった」とも言われるが、果たしてそうか。もしそうなら、ある人は背が高く美しく造られるが何故、別の人はそうではないのか。不公平感は否めない。  勿論、最初の人は、神が直々に造... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇119 その⑦(65~72節)

     詩人は「神の戒めを学んで守ること、それが幸いだ」と言う。そればかりか、苦しみに会ったことも幸いだ、と。  しかし、だからと言って「そうだ、苦しみも幸いだ」「苦しみも神の賜物だ」「苦しみを受け入れ、感謝し、喜ぼう」と言うのが正しいのだろうか。自分が、そう思うのはいいが、それを他人に押し付けるのはい... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇119 その⑥(57~64節)

     神の言葉に従います、という決意の言葉だと言える。ただ、疑問は62節だ。寝る前に一日の感謝を…と言うのなら分かるが、何故「真夜中に起きて感謝する」と言うのか。それが祝福の秘訣だと教えているのだろうか。私達も、同じように夜中に起きるべきなのだろうか。  状況を可視化しよう。詩人は、憐れみを求めている... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇119 その⑤(49~56節)

     「神のとこしえの定め」を思い出して詩人は「慰めを得た」と言う。それ程に素晴らしい定めだということは、逆に言えば、それが無いと哀しみのどん底に沈んでしまうかもしれないということでもある。  そう、「神のとこしえの定め」とは、人間にとっての最大の哀しみである「死」に対する慰めだ。つまり、人は死ぬけど... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その④(41~48節)

     神の恵みと救いが私に実現しますように、と詩人は言う。それは、どの様にもたらされるのか。「御言葉の通りに」だ。つまり、行いではなく信仰によって救いはもたらされるということであり、それを約束している御言葉を、詩人は愛するのである。その様にして、信仰による救いを確信することによって敵対する者の「そしり... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その③(25~40節)

     魂がちりに打ち伏すほど絶望的な状況にあって詩人は「御言葉によって命を得させて(新共同訳)」と言う。口語訳では「生き返らせて」だ。たとえ死んでも生き返るということだろうか。いや、絶望的な状況にあるのは、肉の命ではなく、魂だ。ちりに打ち伏して(死にかけて)いる魂も、御言葉によって命を得ることが出来る... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇119 その②(17~24節)

     「神の言葉を愛する」というテーマに貫かれた詩である。だからこその祈り、それが17節『あなたのしもべを豊かにあしらい、私を生かし、私があなたのことばを守るようにしてください』だ。それは、決して豊かさを求めているのではなく「御言葉を守れるようにタップリと取り扱って欲しい」という願いだ。それ(罪を犯さ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇119 その①(1~16節)

     22文字あるヘブル語のアルファベット、それぞれを頭文字として各8節ずつ、計176節で構成されている詩であり、詩篇中、最長の詩である。ゆえに解説には骨が折れるが、全体としては「神の言葉を愛する」というテーマが貫かれた詩である。  1~2節は、詩篇1篇と似て「主の教えを喜びとする」人々は幸いだと言う... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇118(偽りのイスラエル)

     「エジプトのハレルヤ詩篇」の最後の詩だ。バビロン捕囚後の神殿再建にまつわる詩とされているが、恣意的・作為的な読み方は避け、御言葉の真理によって生きる力を受け取って行きたい。  前提として、バビロン捕囚は、イスラエルの不信仰に対する神の裁きである。しかし、滅ぼされはしなかった(18節)。懲らしめら... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇117(詩篇でクリスマス)

     キリストの降誕は、決して煌びやかなものではなく、むしろ厳しい。それは馬小屋で産まれた主御自身にとってだけでなく、新生児を、産湯さえ無いような環境で飼い葉桶に寝かせるしかなかったヨセフとマリヤにとってもである。  普通に考えれば、修羅場だ。そんなキリストの誕生を喜べるのは、信仰があればこそなのであ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇116(え? 誓いますよ??)

     ギクシャクした詩だと感じる。例えば1節。主を愛する理由は「主が願いを聞いて下さるから」だと。それなら、祈りが聞かれなかったら即刻離婚、偶像に行くということなのか。  更に10~11節。「私は信じた」と。その直後に慌てて「全ての人は偽りを言う者だ」と言った。すると「信じた」は虚言で、それを取り消し... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇115(彼らとは誰ら)

    (詩篇本文は、ご自分の聖書にてご確認ください)  一見、信仰的な詩のように思える。が、何か違和感がある。  まず1節は、イスラエルの謙遜から出た言葉なのではなく、詩人による(イスラエルが律法主義をやめますようにという)執り成しの祈りだ。  律法主義は、自分の力で自分を救おうとする(その点で偶像崇拝... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇114(脱出!)

     出エジプトという「救いの青写真」(それは、第二の出エジプトである「バビロン捕囚からの解放」を経て、第三の出エジプト「キリストによる救い」へと昇華する)を通して語られる詩なのであり、言わばクリスチャンにとっての「ハレルヤ詩篇」である。  事実、クリスチャンは、出エジプトと同じように、この世から脱出... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇113(今から?)

     主をほめよ(1~4節)である。しかし「とこしえまで」と言うのはいいが、何故「今より」(2節)なのか。「とこしえからとこしえまで」主はほめられるべきではないのだろうか。  「今」…それがいつにせよ「今から」ということは、そこに何かの境目がある。何かが大きく変わった(以前とは違う)区切りということだ... 続きをみる

  • 詩篇111(一番大事なこと)

    111:1 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。 111:2 主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。 111:3 そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。 111:4 主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇110(主は私の主に言う…って?)

     ソロモンが王位に就く時に父ダビデが歌ったとされている。つまり、息子を王国の君主(私の主)と認めた上で、その君主に、主なる神が仰せられるということだ。要は、息子を(あなたの王国は安泰だと)祝福しているのである。  そこまでなら、単なる親バカと言えなくもない。しかし、この1節は、新約で何度も語られて... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇109(キリストへの呪いが自分に返って来る)

     新約では「迫害する者を祝福するべきであって、呪ってはいけない」(ローマ12:14)と教えられているのだが、この詩は強烈な「敵に対する呪いの言葉」が大半(6~20節)を占めている。それは果たして、許されるのだろうか。余程の敵なら仕方ないということなのだろうか。  いや、呪いは決して、良いものではな... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇108(昔の脅迫状みたいに)

     108は、人間の煩悩の数とも言われるが、この108篇には悩まされる。と言うのは、1~5節は、詩篇57:7~11と同じ。残りの6~13節は、60:5~12と同じなのである。思い起こせば、53篇も14篇とほぼ同じだったが、それでも若干の違いがあった。しかし今回は、それさえ無い。全く、と言っていいほど... 続きをみる

    nice! 2
  • 答えは、聖書に!(アモス9:7~12)

    9:7 「イスラエルの子ら。あなたがたは、わたしにとって、クシュ人のようではないのか。――主の御告げ。――わたしはイスラエルをエジプトの国から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから連れ上ったではないか。 9:8 見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から... 続きをみる

    nice! 2
  • 叱られて学ぶ(哀歌3:25~32)

    3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。 3:26 主の救いを黙って待つのは良い。 3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。 3:28 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。 3:29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。 3:30 ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇107(やった、見つけた!)

     聖書は常に、イスラエルを媒介しての神のメッセージである。つまり、イスラエルに示された「神の愛」は、イスラエルにだけではなく、「全人類への愛」なのである。それを伝える媒体がイスラエルなのだ。  さて、105、106篇と同じく107篇も歴史であるが、今回は「イスラエルになされた回復の歴史」である。例... 続きをみる

    nice! 2
  • 奇跡の意味(ダニエル6:16~23)

    6:16 そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」 6:17 一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処... 続きをみる

    nice! 2
  • 決して誓わないことを誓います! あれ?(ヨナ1:17~2:10)

    1:17 主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。 2:1 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、 2:2 言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。 2:3 あ... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇105(サンプルは必ずしも本物ではない)

     あえて一か所、15節「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」には注意が必要だ。自己正当化するのに持って来いの(カルト牧師が大好きな)御言葉である。しかしこれは創世記26章でイサクが妻を妹と偽ったことによって被害を被りそうになったアビメレク王が、民に「この二人... 続きをみる

    nice! 1
  • 奇跡で儲ける?(Ⅱ列王記4:1~6)

    4:1 預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」 4:2 エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇104(他人が、ではなく、私自身は)

     23節まで、天地創造の御業を、詩として自由な表現で語られている。その「御業はなんと多いことでしょう」(24節)と言う通り、まさに計り知れない、それが天地創造だ。ゆえに、その記述を文字通りに鵜呑みにする必要は無い。例えば「焼き尽くす火をご自分の召使とされます」(4節)は、天使のことであるとヘブル1... 続きをみる

    nice! 2
  • ど、どうなるの?!(ダニエル10:1~6)

    10:1 ペルシヤの王クロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。 10:2 そのころ、私、ダニエルは、三週間の喪に服していた。 10:3 満三週間、私は、ごち... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇102(何でも叶う……ではない)

     バビロン捕囚の時の、絶望的な(いつまで祈っても何も変わらない)状態、その嘆きの詩的表現、それが1~11節。しかし、それでも神が神であることは間違いない。神が神でなくなることはないのだ(12節)。  「だから信じて祈れ。いつか必ず答えられる」と、教会では昔から教えられてきた。確かに13~17節でも... 続きをみる

    nice! 3
  • 勇士なんか要らない(士師記7:2~7)

    7:2 そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。 7:3 今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山か... 続きをみる

    nice! 2
  • 何を見るのか(マルコ15:25~39)

    15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。 15:27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。 15:29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇98(悲鳴が聞こえる)

     これも、バビロン捕囚からの解放の喜びの詩であり、キリストを信じる者が天国に入ることを教えるモデルである。  まず、神の救いを喜び叫べ(4~8節)と言うが、その中の4~6節は分かりやすい。普通に、教会でも毎週そうしている。賛美だ。ただ、幸いなのは「転げ回れ」とか「踊り狂え」などとは書かれていないこ... 続きをみる

    nice! 2
  • 旧約の記事を鵜呑みにしてはいけない(申命記7:14~15)

    7:14 あなたはすべての国々の民の中で、最も祝福された者となる。あなたのうちには、子のない男、子のない女はいないであろう。あなたの家畜も同様である。 7:15 主は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者に... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇96(主に栄光を捧げてはいけない)

     嘆き・呻きではない、賛美の詩である。そもそもながら詩篇は賛美歌集なのだ。  そこで改めて、賛美とは?  まず「新しい歌」である。が、必ずしも新曲である必要はない。以前は知らなかった救いの喜びと感謝の歌、それが救われて初めて知る「新しい歌」だ。それを「主に歌え」とある通り、賛美は神に向かって歌って... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇95(イスラエルは反面教師)

     バビロン捕囚から解放され、「さあ神を崇めよう」との招きから始まる。  かつてイスラエルは既に一度、大きな神の救い(出エジプト)を体験していた。が、そのあと神を崇めず偶像を作って「我らの神よ」と拝んだ。恩知らずもいいところだ。そんなイスラエルを神は見放すかと思えば、そうではなかった。苦難の時に、ま... 続きをみる

    nice! 2
  • 聖めとは(申命記14:2~21)

     食べてはならないものについてである。その中には豚も含まれているが、私達は普通に食べる。タコやイカも。では「食べてはならない」という戒めは何の意味があるのか。何故、神はそれを定めたのか。  その定めは出エジプト直後に、律法として与えられた。そして律法の目的はキリストに導くことである。つまり、単に衛... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇94:16~23(掟の悪用)

     御国への道を阻む、その「悪を行う者」から誰が助けてくれるだろうかと詩人は言う(16節)が、どうやら誰もいないようだ。それで「もしも主が私の助けでなかったなら」(17節)と、主以外に助けは無いことを詩人は思う。ただし、これは「御国への道が阻まれる場合」のことであって、他の場合になら、人も助けになっ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇94:1~15(指導者だからといって善とは限らない)

     神の民も弱者も苦しめ殺す、そんな悪者への報復を詩人は神に願うが、その悪者は異教徒ではない。真の神を知っていながら神を侮る者だ(7節)。そこで詩人は怒りに満ちて言う(8節)。その言葉にある通り、悪者とは『民の中の間抜け者共』、すなわち、イスラエルの宗教指導者達なのである。主も彼らの事を「白く塗った... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩篇93(神の家に相応しいこと)

     主は王・支配者だ、力があるのだと言う。勿論だが、だからどうしろと言うのかが不明だ。何より、1節の4~5行目は新約聖書の教え(この世は崩れ去る)と一致しない。聖書にも誤りはあるということか。  いや、捉え所は4節(大自然の脅威を語る所)だ。つまり、人の力の及ばない存在・力というものを人は感じ、畏れ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇92(安息日のための歌)

     主に感謝するのは「良い事です」と1節にある。だから、出来るだけ感謝した方が良いという様な緩やかなお勧めではない。新共同訳では、主に感謝する事は「いかに楽しい事でしょう」である。  どんなに良い事(例えば、運動)も、辛いと感じるなら長続きはしない。しかし、主に感謝を捧げる事は楽しいのである。それも... 続きをみる

    nice! 3
  • 伊代は…もとい、今はまだ91だから

    91って、とんでもない。伊代はまだ19……? あれ? 16だったか。(センチメンタルジャーニー) 年齢の話ではなくって、 すごく難しい聖書個所に取り組んでるって話なのだが、 これがなかなか難しい。 いろんな翻訳の聖書、何冊もの注解書、聖霊による悟り、などに頼って読み解こうとするが、まだ謎が……。 ... 続きをみる

    nice! 3
  • ロス(失うこと、喪失)

    このブログを始めて7ヶ月しかならないけど、今のうちにタイトルを変えた方がいいのかもと思ったり。 「預言書としての詩篇」 なんとか持たそうと思って、それ以外のことも書いてはいるが、そもそも筆不精なので……(今、すごく頑張ってると思う) と言うか、もはや何のブログかわかんなくなってる感が。 例えば、↓... 続きをみる

    nice! 5
  • 詩篇91(とてつもない)

     主は、避け処、砦、あなたを救って下さるお方だと言う。その具体的な内容が4節以降であるが、これが、とてつもない。矢が飛んで来ても恐れないとか、病原菌をも寄せ付けない、みたいなことが言われている。私達は確かに、主を避け処としているが、それでも風邪をひくことくらいはあるし、矢が飛んで来たら平気ではいら... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇90(80からか、80までか)

     「人をちりに帰らせ」た神が「人の子らよ、帰れ」と言う。ちりになれ、滅びよ、という意味ではない。罪ゆえに死ぬ(ちりになる・土に戻る)者となった人間だから、神に帰れ(悔い改めよ)という事だ。永遠なる神こそ、帰るべき住まい(1節)なのである。その「帰る家」を持たないなら、人生は苦しく辛いものになってし... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇89(そこに希望がある)

     「神は偉大」と誉め、「ダビデは凄い、誰も勝てない、神のダビデへの契約は変わらない」と称えるのが37節までの前半部分だが、後半(38節から)でいきなり「しかし」と雲行きが怪しくなる。油注がれていた(20節)はずのダビデを神は捨てたと言うのである。それが45節まで続く。「破らない」(34節)と約束さ... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇88(コラの子らの絶望の中の賛歌)

     全体を通して、非常に暗く、沈痛な詩である。その様な嘆きの詩はダビデにも多々あった。だがダビデの場合、最後には信仰による希望で締めるのだが、この詩は最後まで絶望に満ちている。コラコラ、それでいいのか…と言いたくもなろう。  詩人は、自らを死人同然と言う。そして「神の憤りがとどまっている」(7節)と... 続きをみる

    nice! 3
  • 詩編87(素晴らしい事)

     神の都シオン(エルサレム)について『素晴らしい事が語られている』と言う。それは、イスラエルを苦しめていた敵国民が「エルサレムで生まれたものとみなされる」という事だ。一聴すると、あたかも、シオンこそ世界の中心(地球政府の首都)として神が選んだかのようだ。これを鵜呑みにすると「ユダヤ化を拒む者は滅ぼ... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇86(アンビバレント)

     嘆き祈るダビデ。一日中、何日も祈り続けるが神は答えてくれない。焦れる。が、同時に「必ず答えてくれる」という確信もあると記すダビデ(7節)。どっちなのか。8~10節を見ると、決して神を疑ってはいない。神の偉大さの前にへりくだって崇めている。それゆえに主の道を歩みます(11節)と言う。なのに嘆いてい... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇85(本当の勝利)

     イスラエルにとっての大きな嘆きと悲しみであったバビロン捕囚から解放されて、詩人は喜びつつも、何故か「まだ救って下さらないのですか」と嘆き祈る。イスラエルは、赦され救われたのではないのか。神は、赦した振りをしただけなのか。もっと良い人間にならなければ救われないのか。いや、確かに神はイスラエルを赦し... 続きをみる

    nice! 2
  • 初めに、終わり(創世記1:1~5)

     創世記1章とヨハネ1章は共に、世の始まりについてを語る。だが、大事なのは、それが、どの様にして出来たのか(プロセス・メカニズム)ではなく、誰が造ったのか、だ。極端に言えば、神が造ったという事さえ分かればいいのである。所が「聖書は、書いてある通りそのまま信じろ」論者は、天地創造のプロセスも、創世記... 続きをみる

    nice! 2
  • 詩篇84(涙の谷を過ぎるときも)

     心が神に向いている(心の中にいつも神への思いがある)人は幸いだと言う(5節)。その人は、たとえ涙の谷を過ぎる時も、そこを泉の湧く所とする(6節)。これは詩篇23:4~5に通じる。その結論は「いつまでも主の家に住まおう」であるし、84篇も「主の家に住む幸い」を歌う(1~4節)のである。「主の家に住... 続きをみる

    nice! 1
  • 詩篇83(神の沈黙? その理由)

     イスラエルを敵が包囲している、そんな状況で神は沈黙を続けている。何故、神は動いて下さらないのか。この問題は、遠藤周作の小説よりはるか以前、旧約時代の昔から存在していたのだ。  歴史の事実として神は、いつも、毎回、全ての事に一つ一つ、細かく、介入する訳ではない。ステパノをはじめ、使徒達、多くの弟子... 続きをみる

    nice! 1
  • 回って回って回る~うう?(ヨシュア6:1~5)

     7日間で合計13回、エリコの城の周りを回ると城壁が崩れた。この出来事から「13回回れば神のものとする事が出来る」と「祈りの歩行」なるものがいつ頃からか流行し始めた。勿論、祈って歩く事が悪いとは言わないが、これを真似したからって海の水まで奇麗になるなどとはにわかには信じられない。そもそも、7日間回... 続きをみる

    nice! 2
  • キリストはどこにいるのか(雅歌1:5~8)

     「あなたがこれを知らないのなら山羊を飼え」(8節)という不思議。  「あなた」(女の中で最も美しい人=神の目に高価で尊いとされた信仰者)は何を知らないのか。それは「羊飼い(キリスト)の居所」である(7節)。主の牧場はどこなのか、どこで命の水を飲ませて頂けるのかを見失っているのである。同時に、自ら... 続きをみる

    nice! 1
  • 最も美しいって、私がか?(雅歌1:1~4)

     雅歌とは、歌の中で最も優れた歌という事だが、何がそんなに良いのか。一読すると単なる恋文のように思える。視点もコロコロ変わるし、意味不明な文もある。これ位なら簡単に書けると言う詩人もいるかもしれない。しかし、雅歌の素晴らしさは技巧的な良し悪しにあるのではない。誰に対するどの様な愛を歌っているのかが... 続きをみる

    nice! 2
  • 手抜き禁止?(申命記6:4~5)

     モーセは「絶対忘れないように」と念を押して教えた。そして、これが「一番大切な戒め」だと主は言われた。それ程に大切だという事は、それ程に実行が難しいという事でもあると言える。何故なら、放って置いても自然に出来る事ならわざわざ戒める必要が無いし、大事な事に限って、無理にでもさせなきゃやろうとしない、... 続きをみる

    nice! 2
  • 球体の影は、四角にはならない!(イザヤ40:28~31)

     モーセは詩篇90で「人の齢はせいぜい80年」と言っているのに、何故か「モーセの様に自分も80から」と信じ込む人がいる。確かにイザヤも「主を待ち望む者は新しく力を得る。疲れない」と、老化を否定するような事を言っているが、「新しい力」とは何なのかが問題だ。  「旧約は影(シルエット)で、新約はその実... 続きをみる

    nice! 2
  • 静かに待て(イザヤ30:15)

     イスラエルが望まなかったもの、それは「立ち返って静かにする事」だ。「そうすれば救われる」と神が仰せられるというのに、である。「立ち返って静かに…」は難しい事なのだろうか。具体的には「立ち返って」は「悔い改めて」である。問題は次の「静かにすれば」だが、悔い改めたクリスチャンでも「騒がしい」人は地獄... 続きをみる

    nice! 2
  • 言い伝えではなく、神の言う事を(イザヤ59:19~21)

     終末的メシア預言であるイザヤ書は、神と人との関係の回復を教えるものである。神との関係の回復…その為には人間の罪を処分する事が必要だ。ゆえに神は民の悪を裁かなければならない。その様な文脈の中で語られているのがこの箇所であり、その為にイスラエルを裁くというのが18節だ。それを見て、イスラエルを攻撃し... 続きをみる

    nice! 2
  • だから、違うって(ミカ4:1~4)

     終わりの日には、多くの異邦人が御言葉を求めてエルサレムに来て平和に暮らすという。同じ事がイザヤ2:2~4にも預言されているのだから間違いなくこれは「世の終わりの大リバイバルの預言」だとする向きもある。それでは続くミカ4:5に『まことに、すべての国々の民は、おのおの自分の神の名によって歩む』とある... 続きをみる

    nice! 2
  • 本当の癒し(イザヤ61:1~3)

     主はナザレで安息日に礼拝の中でこのイザヤ書を朗読し「今日、この御言葉が実現した」(ルカ4:21)と言われた。メシア預言の成就である。そして主は、そこに記された通り、福音を伝え、癒し、人々を罪と死から解放し自由を与えられた。それが救い主の使命だからだ。  使命と言えば十字架だが、その直接的な預言は... 続きをみる

    nice! 1
  • するって言うのにスルーする?(出エジプト3:7~12)

     イスラエルをエジプトから解放させよ、との重責を受けたモーセ。それ程に神に信頼されていたのだなと思うが、彼は遠回しに断り続ける。神は怒り、モーセを殺そうとさえする。モーセの何がいけなかったのか。それは、神が「私がする」と言うのに、モーセが「無理」と決め付けた事である。確かに、モーセ自身にはエジプト... 続きをみる

    nice! 1
  • 知ってるけど、知らないなら(Ⅰサムエル3:1~10)

     少年サムエルは主の宮で仕えていたのに、自分を呼ぶ主の声に気付かなかった。それは「まだ主を知らなかったから」だという。どういう事か。それは例えば、クリスチャンも「イエスが主である」事を知っている。主が「休ませてあげる」と言われた事も。しかし、主の元(教会)で重荷を降ろす事が出来ていない(疲れ果てて... 続きをみる

    nice! 2
  • 曲がってるほうが良い…!(伝道者の書7:13)

     神は正しいお方、神の内には暗い所が少しも無い、人間は真実ではなくても神は真実、偽りを言う事が無い、と聖書は言う。しかし聖書を見ると神は至る所で「曲がった事(正しくないと思える事)」をなさっておられる。例えば、主がヨハネから水のバプテスマを受けた事。罪の無い神の御子が何故「悔い改めのバプテスマ」を... 続きをみる

    nice! 1
  • 死人が生き返るより、もっと!(ヨブ記42:7~17)

     罪を隠しているから災いに遭うのだ(すなわち、正しい信仰者は繁栄する)とヨブを責める友人達に、「真実ではない」と神は言われた。  ヨブは彼らの為にとりなして祈った。すると、その時からヨブへの神の祝福が始まったという所に目を留めたい。「真理の書」と呼ばれるヨブ記、詩篇、箴言だが、例えば詩篇109:1... 続きをみる

    nice! 2
  • 医者じゃない!(レビ記13:9~13)

     皮膚に異常のある人を祭司が調べて、それがツァラアト(らい病の症状を含む重い皮膚病、NIVでは伝染性皮膚病)だと分かれば「けがれている」と宣言するのだが、紛らわしい場合は7日間隔離して、その後調べ直す。そのような処置は衛生的に妥当だと思われる。所が、「けがれている」と宣言された伝染病の患者を隔離す... 続きをみる

    nice! 2
  • 続・毒じゃない!(創世記2:8~9、15~17)

     「食べてはいけないものを何故、わざわざ園の真ん中に生やしたのか」 それが多くの人の素朴な疑問だ。結果、人は、その実を食べてしまったのだから、ほら見たことか、と言うところかもしれない。が、しかし、見落としてはならない。蛇が惑わすまでは、その木は人にとって何の誘惑にも躓きの石にもなっていない。目もく... 続きをみる

    nice! 1
  • 「名前のいらない神」の御名(出エジプト3:13~14)

     名前というものは他者との区別の為にある。その点、神は唯一なのだから、本来なら名前を付ける必要は無い。だが、いつの間にやら人間は偶像を作り、それらをも神と呼ぶようになった。  そこでモーセは、「どの神なのか」と聞かれたら何と答えたらいいですか、と真の神に尋ねた。その時、神は「『わたしは在る』という... 続きをみる

    nice! 1
  • 順番が違うのよ!(創世記9:1~7)

     ノアは、約100年かけて箱舟を作った。その間、人々はノアから伝道されていたらしいことが伺える(Ⅱペテロ2:5参照)。もしかしたら当初には、信じた人もいたかもしれない。しかし、100年もの間、ノアが語ったことは何も起きなかった。信じていた人もその内、愛想を尽かして離れて行ったのだろう。結果的には、... 続きをみる

    nice! 2
  • まぼろし(箴言29:18)

     「幻」は、英語では「ビジョン」である。それは、将来の計画とか目標、あるいは理想像というような意味合いで使われることが多い。しかし、ここで聖書が教える「幻」は、そのようなものではない。勿論、単なる夢や幻覚などではない。神から与えられた重要な意味のあるものである。それは、使徒18:9に、『ある夜、主... 続きをみる

    nice! 2
  • かえれ、帰れ、還れ。(イザヤ55:6~13)

     神に帰れ、とイザヤは言った。神を信じるということは、何か異常な別の世界に行ってしまうことではない。それは元に戻ること、人間の本来あるべき姿(初めの人間が罪を犯す前の、エデンの園にいた、神の愛と守りの中にある幸いな状態)に還ることなのだ。  その「帰る場所」が無い(知らない)ということは、迷子と同... 続きをみる

    nice! 1
  • Revisit? No, Brush Up(ホセア6:6)

     神は『誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない』とは、どういうことか。主イエスも、『行って、学んで来なさい』と言われた。  ホセア6:1~3で、イスラエルの「悔い改めの言葉」を見る。表面上は、立派な言葉が並んでいる。しかし神は、続く4節で、誠実ではない、とイスラエルを非難する。何故なら、それは、本気の悔... 続きをみる

    nice! 1
  • 知らなくてもいい事がある(創世記2:15~17)

     教会に来て、聖書の教えを聞き、「神の言葉に従うのが良い事で、従わないのは悪い事だ」と、私達は知った。そして主イエスを信じて救われたのだから、何が善で何が悪かを知る事は「良い事だ」と言えるかもしれない。では、アダムとエバも、善悪を知る知識の木の実を食べて、何が善で何が悪かを知ったなら、それで良いの... 続きをみる

    nice! 1
  • 毒じゃない!(創世記1:26~28)

     アダムとエバは、神の言葉を正しく理解していなかったゆえに、蛇に誤魔化され、罪を犯してしまった。その後、人は死ぬべき者となり、悪が満ち、全ての不幸が人の世に満ちた。その始まりは、御言葉の誤解である。それが諸悪の根源と言っても過言ではないだろう。  確かに、蛇はエバを欺いた。サタンは嘘つきであると聖... 続きをみる

    nice! 1
  • 自由だああ!(創世記1:26~28)

     造り主なる神は、人間を造り、自由意思を与えて下さった。それは、『人をご自身のかたちに創造された』、すなわち、「神の御性質に似せて造られた」という御言葉によって裏付けられる。何故なら、当然、神には自由意思があり、ご自身で「こうしよう」と思い、天地を創造されたのであり、その神の御性質に似せて造られた... 続きをみる

    nice! 3
  • カネか平和か(箴言17:1~3)

     「裕福で争いがある」より、「貧しくても平和」が良い、と聖書は言う。それに対して、「アーメン」と言える心でありたいが、いざ本当に貧しくなればどうだろう。例えば、夕食にパン一切れしかないなら、その家庭(夫婦間)には争いが起きるかもしれない。それゆえに裕福を求めるわけだが、そこで逆にまた競争、争いが起... 続きをみる

    nice! 2
  • 逃げろ!(創世記19:15~29)

     主は、ソドムとゴモラを滅ぼそうとされた。その町に住んでいたロトとその家族は、ノアとは違って、決して「神の前に正しい」とは言えないが、主はロトを憐れみ、救い出そうとされ、『いのちがけで逃げなさい。この低地のどこででも立ち止まってはならない』と言われた。そのあたりの低地一帯は危険な領域だからであろう... 続きをみる

    nice! 2
  • 神は休まない!(創世記1:31~2:3)

     神は7日目に、全ての創造の業を休まれた。そして、その日を聖とされた。安息日に働いてはならない、という教えは、これに由来する。  しかし実際は、『父は今に至るまで働いておられます』と主が言われたように、神は休養を必要とするようなひ弱なお方ではないし、常に私達の祈りに耳を傾けておられるお方である。『... 続きをみる

    nice! 2
  • 計画は無駄?(箴言19:21)

     主のはかりごとだけがなる、と聖書は言う。では、主のはかりごと(神のご計画)は何か。それは、『災いではなく、将来と希望と平安を与える計画』(エレミヤ29:11)であり、『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないものを備えている』(Ⅰコリント2:9)、... 続きをみる

    nice! 1
  • もうちょい旧約(伝道者の書7:16~18)

     快適さのためには、ゆとり、余裕、緩やかな部分、というものが欠かせない。車のハンドルで言えば、「あそび」が必要だということだ。服もそうであるように、厳密過ぎてもルーズ過ぎても不快となる。『過ぎたるは及ばざるがごとし』という言葉の通りだ。  さて聖書も、正し過ぎてはいけない、悪過ぎてもいけない、知恵... 続きをみる

    nice! 1