預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

順番が違うのよ!(創世記9:1~7)

 ノアは、約100年かけて箱舟を作った。その間、人々はノアから伝道されていたらしいことが伺える(Ⅱペテロ2:5参照)。もしかしたら当初には、信じた人もいたかもしれない。しかし、100年もの間、ノアが語ったことは何も起きなかった。信じていた人もその内、愛想を尽かして離れて行ったのだろう。結果的には、人々は信じなかったのだ。だがノアは、「神の約束は必ず成る」と信じ続け、箱舟を完成させた。「その信仰が称賛された」とヘブル11章で言われているのである。ちなみに、ある映画では、ノアの時代にカインがまだ生きているという設定で描かれていたそうだが、実際は違う、ということは計算してみれば分かる。
 さて、舟から出てノアが最初にしたことは、礼拝である。だから「礼拝したら祝福される」という順序(あるいは方程式のようなもの)を設定すべきではない。というのは、ノアは、そもそも、そういう『正しい人』だったから祝福された(救われた)のであり、だから、舟から出た後も、当然、礼拝しただけであって、礼拝したから祝福された、という順序ではないのだ。あくまでも「正しい人は祝福される」、それが第一義である。では、何が正しいのか、と言えば、それは、「祝福があろうが無かろうが、そんなことには左右されず、なにはともあれ、神を礼拝する」ことが正しいのであり、そういう正しさに対して神は報いて(祝福して)下さるのだ。
 続いて、神は肉食を許可された。しかし、『血のあるままで食べてはならない』……これは勿論、輸血禁止ということではない。これには「贖い」の宗教的意義がある(ヘブル9:22参照)。「先ず血を流してから食べる」、それは、「罪の赦し(永遠の命)が先決であり、その次に生活(今の命)だ」ということのモデルである。つまり、天国の約束(信仰)があってこそ、安心して今の生活を送ることができるということ、それが生きる上においての優先順位なのだ。逆に言えば、今の生活がどんなに順調でも、最後に地獄ではなんの得があるかということ。『たとえ全世界を手に入れても真の命を損じたら……』と主が言われたとおりだ。
 私達も御言葉の約束を信じ、その信仰を守ることを大切にしよう。

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