預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ど、どうなるの?!(ダニエル10:1~6)

10:1 ペルシヤの王クロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。
10:2 そのころ、私、ダニエルは、三週間の喪に服していた。
10:3 満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。
10:4 第一の月の二十四日に、私はヒデケルという大きな川の岸にいた。
10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
10:6 そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。



 ダニエルが見た幻は、黙示録1:13~15のキリストと同一と思われる。で「彼」は言う。ダニエルの祈りは最初から聞かれていたが、邪魔が入ったので来るのが送れた、と。これを「祈りの法則だ」と言う人達がいる。だから「断食祈祷は3週間続けると効果がある」とか。


 仮に、ダニエルが断食祈祷していたとして、その祈りの初めの日が「神の前にへりくだろうと決めた日」だというのはおかしい。本当は、ダニエルがバビロンに連れて来られたその最初の時から彼は「神を恐れて、神の前にへりくだろう、異教の風習に染まるまい」と心に決めていたのである(1:6~8)。それゆえ彼は神から悟りと知恵を与えられ、数々の謎を解き明かし、ライオンからも守られた。そんなダニエルだからこそ、御子なる神が直々に啓示を与えに来られたのだ(10:12)。


 その啓示は黙示録とよく似た内容で、終わりの日に起こることを悟らせるためだと御子は言う(10:14)。具体的に何が起きるかはわからない。さすがのダニエルでさえ悟れなかった(12:8)。何故なら、それは『終わりの時まで、秘められ、封じられているから』(12:9)だと御子ご自身が言う。だから、世の終わりに何が起きるかを必要以上に詳細に語る人は信用しない方が良い。大抵は外れている。


 『しかし、思慮深い人々は悟る』(12:10)。とはいえ、謎は謎だ。世の終わりに起きることはダニエルでも悟れなかったし、1290日とか1335日が何を意味するのかも不明である。だが、なにより悟るべきことがある。それは「世の終わりが来たら、最終的にはどうなるのか」だ。それがわからないなら、途中のことを知っても意味がない。大切なのは「ゴールは何か」だ。


 最終的に御子はダニエルに言われた。「あなたは人生を生き抜け。そして一旦は死ぬが、復活する」と(12:13)。『割り当ての地』すなわち、約束の地・新天新地・天国だ。つまり、救いが完成するということ、それこそが「世の終わりが来たらどうなるか、その最終結末」なのである。そして、それは黙示録の結論と一致する。それがゴールだ。それを悟らなければ意味がないということを悟らせるための出来事なのであり、「祈りの法則」などではない。私達は、思慮深く、聖書の目的を悟る者であろう。

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