預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ロス(失うこと、喪失)

このブログを始めて7ヶ月しかならないけど、今のうちにタイトルを変えた方がいいのかもと思ったり。
「預言書としての詩篇」
なんとか持たそうと思って、それ以外のことも書いてはいるが、そもそも筆不精なので……(今、すごく頑張ってると思う)
と言うか、もはや何のブログかわかんなくなってる感が。


例えば、↓ これはロッカー(既出)




とにかく、今のところメインは、あくまでも詩篇だ。


しかし、問題がある。
詩篇は150篇しかないので、もう3分の2ほど、終えてることになる。やがては終わるということだ。そのときどうするか。
完結というのは喜ばしいことかもしれないが、それ以上はないという面で悲しさなり寂しさなりを感じる。朝ドラの「あまちゃん」が終わった時も、日本中で「あまロス」に陥った人が続出したものだ。


ある人の名言を思い出す。



「お腹一杯になると悲しい」


(どうして? と質問した。――だって、普通はお腹いっぱいになることは喜ばしいことではないか――すると、答えてくれた、その答えが秀逸!)









「もう食べられないから」


もっと食べたいのに! という意味だ。


それは確かに、悲しい。


↓ ロッカーが糖尿病で片足切断してしまうのも悲しいけど。(既出)



詩篇も2000くらいあればいいのに。
いや、それも困るな。解説が大変だわ。150も書けば、読むほうもお腹一杯でしょうから、そこで悲しみながらタイトル変更すればいいだろう。
そのときで遅くはないかも。


しかし、どんなタイトルにするかな。
「詩篇ロス」か。
そんなの誰がなるねん!



あ、そろそろ行かなきゃ。裁判所。
うちから1時間ぐらいかかるからなあ。
時間をロスしないようにっと。

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