預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

アルゼンチンバックブリーカー並みの荒業

毎週毎週、説教する生活を、約30年も続けると、結構な量になる。
ざっとだが、ざっと数えて、5000もの説教を語ってきたことになる。
それは、5000回説教したという意味ではなく、5000種類の説教をしたということである。
九州に来てからは、毎週、最低4本、多い時には5本、すごい時には週に6本もの説教を語ってたから、もしかしたら、1万ぐらいにはなるかもしれない。


新米の牧師なら、週に一つの説教を準備するだけでも、精一杯だろう。
月に一回しかしない人でも「大変」と言うのだから、週6本なんてトンデモない荒業だ。
毎日毎日、作っては語り、作っては語り、いつまでも永遠に続く・・・って感じで、
さすがにそれは、キツ過ぎた。


だから今は、週に最低3本、多くても4本ぐらいにしている。


で、今月末は、裁判の関係で仙台に行ったり、いろいろと時間が無いので、
今日、頑張って、説教を2本用意した。


一日に1本でも結構消耗するのだが、今日は、調子が良くて、2本!


よく頑張った。
と、ここに記しておこう。

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