預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

どれが福音?(Ⅰペテロ1:23~2:2)

1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。



 『草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない』……これが福音だ、とペテロは言うのだろうか。それは、Ⅰコリント15章で「これが福音だ」と、はっきりと言われているはずの、「十字架で私達の罪を背負い身代わりに死なれ、三日目に甦られて今も生きておられる救い主イエス・キリストを信じるなら救われる」ということとは食い違うのではないのか。


 いや、よく読もう。ペテロは、「その福音の言葉がこれだ」と言うのである。つまり、「その福音(キリストを信じるなら救われる、という言葉)はとこしえに変わることがない、と聖書に書いてあるとおりたとえこの世が滅びても、信じる者は必ず救われる」ということなのである。


 クリスチャンは、その「変わることのない真理の御言葉」に従う(=信じてバプテスマを受ける)ことによって救われた。だが、知らず知らずのうちに教会での教えの中に異質なものが入って来て、信仰的な聖さが失われてしまうのだ。例えば、ニューエイジ、心理学、自己啓発・可能性思考、ご利益信仰……。そのような教えを捨て去り、混じり気のない純粋な聖い御言葉を慕い求めなさい、とペテロは言う。何故なら、「それによって成長し、救われる為」だ。


 誤解してはならない。クリスチャンは既に「信仰によって救われた」(エペソ2:8)のであって、救われる為に何かをしなければならないのではない。だが、その「信仰によって救われた」という教えに何かが混じり込んでしまうなら、救いを見失ってしまう。だから、黙示録2章で、主は、「初めの愛に帰れ」と言うのだ。


 クリスチャンの始まり、その信仰の原点、すなわち、Ⅰコリント15章にある通り、キリストの十字架と復活である。この「福音をしっかり保っていれば救われる」のだ。そして、これこそが、純粋な、混じり気のない、聖い御言葉の教えなのである。


 この信仰をしっかり保つ為に、「純粋な、御言葉の乳を慕い求めなさい」と聖書は言う。それによって成長するのは勿論、「福音をしっかり保って」救いを得る為なのだ。


-------------------------------------------------------
PR
福音を守る為に書いた拙著『苦しくならない聖書の本 ~福音の真理・命を守りたくて~』(玄武書房)をお勧めします!
画像をクリックしていただくと、購入ページに飛びます。

×

非ログインユーザーとして返信する