預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

文意

メールでの議論が、いやだ。
相手の文章の意味を汲みかねる。
一つ一つの言葉の真意をいちいちメールで確認なんかしていたら、議論の本題の「ほ」の字にも入って行けないから、おおよその理解か、文字通りの解釈で話を進めるしかない。
だから、自分の意見を書くに際しても、細心の注意と熟慮を以って言葉を選ばなければならないので、時間がかかる。
とか言いながら、この文章も、こんな短い文章で真意が伝わるかどうかは不明だ。


だから、聖書を、たったあれだけの分量から命の道・真理を汲み取るのは決してたやすくはない。現実には、意味を汲み取れてない(文字通り鵜呑みにしてる)場合が多いのが残念だ。それが、「キリストの教えからかけ離れたキリスト教」である。


詳しくは、拙著『苦しくならない聖書の本』~福音の真理・命を守りたくて~を。

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