預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

裏切りも、失望も・・・(ローマ10:8~11)

10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」



 ここで聖書は、『御言葉は、あなたのすぐ近くにある』と言うが、それは「いつも聖書が手元にある」というようなことではなく、「一個人にとって信仰を持つことは何も難しいことではない」ということである。


 そもそも信仰は誰でも(無宗教の人でも)持っている。と言うのは、信仰とは「何かを信じ頼ること」だからだ。ある人は、お金を、会社を、国を、科学を、過剰に信じ頼っている。


 ただ、問題は、その信頼は裏切られるということだ。実に、この世の中は、嘘と誤魔化しだらけである。しかし、キリストへの信頼は裏切られることはない、と聖書は言う。何故なら、キリストは嘘がつけないからだ。


 例えば、救いの計画。それは、キリスト御自身が人間の身代わりに死ぬことだ。それは当然、嬉しいことのはずがない。キリストも苦しみ、他の方法は無いものか、と願われた。だが、キリストは、あくまで当初の計画通り、自ら進んで十字架に掛かられた当初からの計画を曲げるなどということは出来なかったのだ。それほどに嘘をつくことが出来ないお方なのである。ゆえに、彼に信頼する者は失望させられることがないのだ。


 ただし、問題は、その「信頼の仕方」である。例えば「神は全能だから、任せておけば全て上手く行く」と信じ頼るなら、失望するだろう勿論、神は全能であり、良いことをして下さる。それは本当だ。けれども、それは、何でも願いが叶うということではない


 人間がどんなに願っても、努力しても、思い通りに行かないことが沢山ある。幸せも、皆が願い、一生懸命頑張っている。しかし、皆、苦しんでいる。結局、幸せも、救い(天国)も、人の願い・努力によるのではなく、神の憐れみによる


 その「神の憐れみ」、それがキリストの十字架だ何の行いのない者でも、信じるなら、救われる。弱い人も、貧しい人も、差別されている人も、誰でも救われる。そして、その信仰を持つことは難しいことではない。『あなたの近くにある』のだ。手を伸ばせば(心を開けば)、掴むことが出来る。救われる


 その(キリストへの)信頼は、決して裏切られることがない。何しろ、キリストは嘘をつくことが出来ないのだから。そういうお方に信頼すればこそ、安心出来る。

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