預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

ホワイル・マイギター

きょう、ひっさし振りにギターの弦を張り替えた。
もうしばらく前から錆びてて、いつ切れるか、もう切れるか、きょう切れるか、と思ってたんだけど、さすがに音が・・・


で、きょう、意を決して、弦を張り替えた。


そんなに言うほど大げさなことではないのだけども、暇がなくて先送り先送りしてた。
何しろ、何もかも(説教だけでなく、例えば、週報の印刷、折り込み、賛美奏楽リード、掃除、雑用・・・ほかの教会なら信徒さんにやってもらってるようなことも・・・少しはやってもらってるけど、大部分は)自分でやらなきゃいけないので、とても余裕がなくって。


何故なら、信徒さんには出来るだけ楽をしてもらう、それがモットーだからだ。
主イエスは「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。私があなた方を休ませてあげる」と言われたのだから。
日曜に教会に行ってへとへとになる・・・なんて教会の在り方は間違っているのさ。


さあ、明日はシャキンとした良い音が出るだろう。

ちなみに、このギター、もう40年も使ってる。
フェンダージャパンが出たときの、最初のやつ。


長い付き合いだ。
そろそろ休ませて・・・
いや、まだまだ現役だ。働いてもらおう。
マイギターがジェントリーに鳴いてくれる間は。

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