預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

誰が悪いのか

きのう(日曜)の朝の礼拝ののち、呼び鈴を押す者あり。


「神父様、恵んで下さい」と訴える年齢不詳のおじさん。


神父様じゃない(牧師だ)けど、教会やってると、しばしばこんな人が訪れる。


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まだ福島にいたときのこと、電話で「電車賃が無いから貸してください」と言う人。
「今どこですか?」と聞くと、「駅」と言う。
当時、うちの教会は駅から離れたニュータウンにあって、歩いたら3時間ぐらいかかる。
「うち駅から遠いんですけど、ここまで来れないでしょ?」と聞くと、
「バスで行く」と言う。


電車の切符買えよ


という言い方はしないまでも、正直、そう思う。



直接教会に訪ねて来る人の場合は、一応、話は聞く。
どうせ、嘘なんだろうけど、サイフ失くしたとか、何とか、とにかく、いくらかのお金が欲しいわけである。
「必ず返しに来ます」と言うけど、本当に返しに来る人なんかいない。
あげるつもりで渡さなければいけない。
少しくらいあげればいいでしょ…それが親切…と思えるかもしれないが、
それは、味をしめさせることであり、そんな生活を継続させることになるから、実は、しない方がいい。
そんな生活から脱出して人生をやり直すように導くことこそ本当の親切だ。


だから、おにぎりか何か食べさせてあげることはあっても、お金は渡さない主義を貫いた。(当時、自分自身お金無かったし)
そして、切々と諭した。


中には、怒って帰る人もいる。


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それで、昨日。
ストレートに「神父様、恵んで下さい」と言うおじさん。(もしかしたら同年代かも)
電車賃が無い…とか見え透いた嘘を言わないだけ好感が持てる。


色々話を聞くと、「福岡から自転車に乗って仕事を探しに来た」という。
約30キロだ。
見ると、結構、ピカピカの自転車である。


「でも、当ても無く自転車で走ったって、仕事落ちてないでしょ?」
「はあ」
「本当に仕事欲しいんだったら、他にやり方あるでしょ? 〇〇とか」
「はあ」
「正直に言って? お腹すいてるんでしょ? きのう食べた? 今日は?」


「お願いします、500円でいいから」


「あのね、そんな生活してたらダメですよ。人生を立て直さなきゃ、こんなの惨めでしょ?」
「はあ」


次第にしょんぼりし始めて、泣きそうな顔になるおじさん。


教会の玄関前で、公然と、こんこんと(優しく)説教したが、まあいいか、と思って、
その場にあるお金(多分300円くらいあるかなと思ったが)200円を手渡して、
「これでパンでも食べてよ」
「返しに来なくていいから」


「すんません、ありがとうございますぅ」
と、自転車で去って行った。





以前の私だったら、1円もあげなかった。
どうしたんだろう。
それが良かったのか悪かったのか、分からないけど、
説教されて、しょんぼりとして泣きそうなおじさんを見てると、つい、あげてしまった。
もしかしたら、あのおじさん、物乞いに慣れてなかった(物乞いの初心者)だったのかなあ。


切ないなあ。


どんな悪さをしても退職金満額貰う偉い人もいるのに、ね。

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