預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

何て言えばいい?

きのうは、納骨式だった。

教会員のご主人(元刑事さん)だが、教会に来られたことはない。いわゆるノンクリスチャン。


でも教会の墓地に受け入れ、ご遺族方のためのメッセージも語った。(とても良かった、とノンクリスチャンのご遺族にも好評を得た)

色々な事情があり、お会いしたこともない方だから、語るに難しいケースだけど、そこは、それ。場数を踏んでるがゆえ、仕事は仕上げる。それがプロだ。


その後、喪主(教会員)に昼食をご馳走になったのだが、創作料理屋さんの、まあ立派な、美味しい料理で、お腹いっぱい。


普段、昼食は取らない私が、ついつい、全部食べちゃった。


苦しみの午後を味わった。

夕食を、食い改めることは出来なかった。

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