預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

王様はハダカだ

かつて教会は、科学者を迫害した。


何故か。


それは、聖書をありのまま(書いてある通りに)信じ過ぎるからだ。




日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く」伝道者の書1:5



聖書は誤りなき神の言葉、真理の書、そこに偽りは無い。
だから、動いているのは太陽なのであって、地球は動いてはいないのだ。
それが聖書の教えだ、と堅く信じた。



その頑ななまでの思い込み(曲解)が、ガリレオ・ガリレイ達(天動説を唱えた科学者達)を苦しめた。


そして、宗教裁判において、異端扱いをし、天動説今なら、誰も疑わない真実)を排除しようとした。


その際、ガリレオ・ガリレイは、呟いたと言われている。



それでも地球は回ってる






でも、残念ながら、本当のことを言うと、大抵の場合、嫌われる。
引かれる。
たとえ、本当に「王様が裸」でも。



勿論、言わない方がいいこともある。
例えば、「かつらがズレてますよ」とか。
それが親切のつもりでも、結果的に、恥ずかしい思いをさせることとなってしまうだろう。


しかし、1+1=3 と言う子供に、「いや、ちがうよ。2だよ」と教えるのは教師の務めだし、間違いを指摘したからと言って、恥をかかせることにはならない。むしろ、そんな真違いを覚えたまま大人になった方がよほど恥ずかしいだろう。


だから、言わなければならないこと(言うべきこと)は、言わなければならないのだ。
「そっちは危ないよ!」
「その先は崖だよ!」
「地震だ、ストーブを消せ!」
「火事だ、逃げろ!」
「出口はそっちじゃない、こっちだ!」
「津波だ、逃げろ!」
「原発を止めろ!」
「健康に悪いからマスクを外せ!」
「二酸化炭素の吸い過ぎで眠気、眩暈、頭痛が起きるぞ!」
「騙されてるぞ!」
「動いてるのは地球だぞ!」
「祈れば何でも叶うなんて、そんなわけないじゃないか!」
「父が完全なように、あなたも完全になれ? 無理でしょ!」
「その聖書解釈は間違いだ!」



でも、ガリレイと同じように、言えば言うほど、嫌がられる。
引かれる。


特にキリスト教では、受容、寛容、和睦が美徳だとされる。
ならば、異端を責め、糾弾し、容赦しなかったパウロやペテロ、ヨハネらは、ろくでなしってことだ。


みんなで「王様万歳!」
さあ、ご一緒に・・・?

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