預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

何をしているのかな(ルカ23:33~34)

本年、2つ目の記事となります。
頑張って書いていきます。



23:33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。


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 『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』という祈りは、全人類の為の祈りである(彼らが悔い改めたなら、その時には赦してやってください、という意味)とは、すでに一つ前の記事で述べた。


 だが、それは同時に、直接的に、兵士達の行為に対しての言及でもあった。


 彼らは何をしていたのか。聖書は記している。『彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた』と。これは詩篇22:18に記されていた預言の成就である


 勿論、ローマの兵士達はそんなこと(聖書の預言)を知るはずがない。つまり、彼らは、まさに、自分が何をしているのか分かっていなかったのだ自分でも知らずに、聖書の預言を成就させてしまって(聖書の真実を証明して)いたのである


 救い主についての旧約聖書の預言は全て成就した。聖書が教えていることは全て本当だということだ。ということは、世の終わり、死後の裁き、天国・地獄も全て本当なのである。


 世の終わりは、いつ来るのか。『その日は誰も知らない』と主は言われた。しかし、その日が来るための条件は幾つか教えられている。偽キリスト、偽預言者、偽教師達が多く現れることだ。そして、今、それがまさに起きて(猛威をふるって)いる。


 彼らは、自分が何をしているか分かっていない彼らも、自分で気付かずに、聖書の預言を成就させてしまっているのだ。そして、それは、世の終わりが来るのを加速させることであり、それは(皮肉なことに)自分が裁かれる時が来るのが近くなるということなのにだ。


 主の御心は、一人でも多く全ての人が、というわけにはいかないが救われることだ


 だが、それは、あくまでも本人の悔い改めがなされてこそである。だからその為に、主は、終わりの時を、今も、忍耐して、猶予しておられる
 本来なら、世の終わりはすぐに来るはずだった。使徒達は、明らかにそう確信していた。だが、主の憐れみのゆえに、その時は延ばされているのだ。


 私達も、願わくは幾人かでも救われる為に(主の憐みの心と同じく)世の終わりが来るのが少しでも延ばされればと思う
 ならば、避けるべきは、偽預言者・偽教師だそれは世の終わりの時を加速させるからだ。だから私達は、救いの為に、キリストの本当の教えを学び、伝えることが必要なのである。

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