預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

詩篇19

 6節までは宇宙について、7節以降は主の戒めについて、と2つの話に分かれているように思えるが、そこには一本の筋が通っている。それは「神の秩序」だ。
 まずは宇宙。それは規則正しく動いている。それは決して偶然にできたものではない。全能の神の御手の業である。ゆえに、天は神の栄光を証しし『大空は御手の業を告げ知らせる』と言うのである。もっとも、その「証し」の声は聞こえはしない。しかし、その主張は全世界に届いているという。すべての人は、神の存在の証明を見ている、ということだ。それはローマ1:20にもある通りだ。だから、近代科学の基礎を築いた科学者達(ニュートン、コペルニクス、ガリレイ、ケプラーなど)は「宇宙は第二の聖書だ」と考え、神を知るために宇宙を研究した。
 さて、その聖書は言う。太陽が『上る』『出て来る』と。確かに私達も「明日もまた日は上る」と言うことがある。とは言え、実際は太陽がではなく、地球のほうが動いているということを私達は知っている。ところが昔の人は知らなかった。天動説を信じていたのだ。特に、固く信じていた、それが教会だ。「何故なら、聖書には『太陽が上る』と書いてある」と。それゆえに、地動説を唱える科学者(ガリレイ達)を迫害し、酷い時には火あぶりにも処した。教会の過ちだ。
 果たして、その教訓は活かされているのだろうか。今も、「右を打たれたら左も出せ」「決して誓うな」「完全になれ」、そう聖書に書いてある、と信徒を苦しめる現実がある。
 しかし『主のみ教えは完全で魂を生き返らせ』る、と7節からの御言葉に続く。ただし、せっかくの「正しい主の戒め」も、誤解されたら毒となる。神の言葉は、正しく処方されてこそ魂を生き返らせ、心を喜ばせる。これもまた「神の秩序」なのだ。その秩序の中に生きてこそ、平和が保たれる。そのような『平和を作る者は幸い』なのだ。
 過ちを犯す、それが人間だ。だから『傲慢の罪から守ってください』と詩人は祈る。神によって守られることが必要なのだ。
 私達は、完全な主のみ教えを慕い求めよう。そうすれば魂が生き返るように、活き活きと力を得る。それもまた「神の秩序」である。

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