預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

魂の無い体は、空(から)だ(マタイ10:28~31)

10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。



 ここで主は、「体を殺されることを恐れるな、根性出せ」と言っているのではない。拷問でさえ想像するだけでも恐ろしいものだ。


 主が言われているのは、「~な人などを恐れるな」ということだ。何故なら、本当に恐れるべきは、体も魂も滅ぼす権威を持っておられるお方、真の神をこそ恐れるべきだからだ。そして、神を恐れるとは、神を「崇め、敬い、従う」ということであり、そのような態度を「この世の人々」に対してとるべきではない。すなわち、「この世に屈服するな」ということである。決して、体を大事にするなということではない


 ちなみに、「からだ」という言葉の語源は、卵の「殻」だという。中に身が入っていて、それを入れる器が殻である。つまり、肉体というものは、中に魂(身)が入った「殻だ」ということなのだ。


 要するに、大切なのは、中身である。殻が割れないようにするのは、中身を守るためだ。同じように私達も、体が壊れないように守る。であるならば、尚のこと、中身(魂・心)を気にかけて、守らなければならないはず


 ゆえに主は言われた。神を恐れよ、と。体も魂も滅ぼす権威を持っておられる神様は、雀一羽さえ養い守って下さる。ましてや、雀より優れた私達を良くして下さらないことがあろうか。神こそ、私達の魂を守り養って下さるお方だ。


 だから、主を認めなさい、と御言葉は続く。これは、クリスチャンであることを隠すな、ということ以上のことだ。この世にあって、イエスを主と認めるということは、誰が何と言おうと主の御言葉に従って生きる、ということである。それがまさに、神を恐れる、ということであり、魂を守る道なのだ。


 魂(心)は、ナマモノだ。すぐに腐る。


 だから、きめ細かいケア―が必要である。ケアーを怠ると、あとで痛い目を見る。油断大敵である。油を絶やしてはならないことは聖書の教えるところだ。だから、絶えず祈りなさい、命のある限り賛美せよ、いつもキリストを思っていなさい、と聖書は言う。それが、魂のケアーなのだ。祈り、賛美、礼拝という魂のケアーを大切にしよう。

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