預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

許容しましょう

Quoraに面白い問答があったので、勝手にコピペ。


(問)
未だにコロナを指定感染病から外せ、ただの風邪、インフルエンザより怖くない、pcr検査はあてにならないなんて言ってる方がいる理由は何故です?こう言った人達が提示された資料も信用に値いしないものですし。


(答)
このまま2類感染症扱いをしていたら、社会が持たないからですね。
当初は全く情報がなかったわけで、最大級の警戒を要するとして2類相当になりました。
が。
もう1年が経過です。そして当初恐れられていたのとは全く異なり、日本やアジア圏では若年齢層の死亡率はインフルエンザより低いことが判明しました。ただし、インフルエンザより特定の条件でははるかに感染性が高い、しかし風疹ほどの感染性ではない。いろいろ微妙な特徴が判明したわけです。ものすごく強力でも毒性が高いわけでもないが、さりとて無視できるほど弱くもない。嫌な特徴のウイルスです。
ですが、少なくとも2類相当は外してもいい頃でしょう。そして、そろそろ「このウイルスは防御しきれない」「根絶は不可能」「感染をゼロにすることは不可能」という現実を社会が受け入れるべき段階に来ているのです。
いや、このまま自粛と対策を続けて、根絶できるならした方がいいでしょうけど。コロナウイルスって、風邪ですよ。有史以来、人類が風邪を根絶できたことなど一度もありません。根絶は不可能ですよ。不顕性感染で、猫にもネズミにも潜伏感染するんです。日本国内から全ての猫とネズミを駆除しますか。根絶するにはそういうレベルのとてつもないエネルギーが必要です。それによって得られる利益は、インフル程度の強度のウイルスを一種類防ぐだけ。
コスト対効果が見合いません。
さらに。
ワクチンによってこの問題が解決するというのも、幻想にすぎません。
皮肉なことですが。
現在の日本の低い死亡率は、「まさにワクチンが行き渡った後の社会の姿」に他なりません。
アメリカもイギリスも、何のためにワクチンを打っているかというと。「日本みたいに低い死亡率にするためにやっている」んですね。
じゃあ。
日本は何を目指してんの?
驚くべきパラドックスです。
世界各国は、日本のような「十分に低い死亡率」を目指してワクチン戦略を進めています。ゴールは明確です。「日本のように、インフルエンザ並みの死亡率に抑えること」すなわち、日本で言えば2類相当を5類相当にしたくてやってるんですね。
ところが。
既に達成している日本は、どこにいったら「ゴール」なんでしょうか。
ゴールからスタートしてしまった結果、我々にはどこにもゴールがありません。
とてつもないパラドックスですね。
日本の未来にあるのは、「コロナ死者ゼロ」を目指す一種の集団的ヒステリー、「ゼロトレランスwithコロナ」の世界です。
世界が正常化する中、日本だけが「コロナを1人も国内に入れるな!」と叫んで鎖国をし。「コロナ死者を一人も出すな!」と自粛を叫び、経済を止め。社会を縮小して産業を破壊しつつ、コロナ死者の何十倍もの大量の自殺者を出す未来が待っています。
このままでは社会が持ちません。
それが「いい加減に過剰反応をやめて5類相当に落とせ」という主張の背景ですね。
追記:
この回答に含まれる最大の問題提起は「日本はコロナに対する数値的目標を持っていない」というところにあります。
現在の自粛をめぐる混乱の原因も、とどのつまりはこの数値的目標の欠落が原因です。
ゴールとなる数字がない。正確には、コロナをゼロにするという不可能な目標だけしか掲げられていません。これは進め一億火の玉だ、玉砕精神で鬼畜米英を撃滅だ、と同程度の現実性しかない、非現実的な目標です。
そして。
目標がこのまま非現実的なものである場合、ワクチンが行き渡ってもこのコロナ禍は終わりません。コロナは変異しますから、第二第三の新たな変異株が現れ。ワクチンが効果があるかどうか確認できるまでまた社会をロックダウンし。既存ワクチンの効果が弱いとなれば、また1年間社会を自粛で破壊しながら新ワクチンを待つことになります。
「リスクを許容し、コロナを受け入れる」それ以外にこのコロナ禍を本質的に終わらせる方法はありません。

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