預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

どんな報道をしてくれるのかなあ

6月24日の判決に向けて、きのうは、裁判所の記者クラブに出向いて、弁護士さんたちと共に、記者レクチャーを行った。
いつも、裁判所の入り口で所持品検査をされるのだが、大抵、金属探知機を通るときに「キンコン」と引っかかる。ところが、きのうは珍しく素通りできた。おびただしい数のスタッズが打たれたジーンズを履いていたのに、である。さいさきがいい、と言うか、そんなことぐらいでいい気分になってしまうのもどうかとは思うが。


さて、来週の火曜は新聞社がインタビューに来る。初めは共〇通〇社、次に、朝〇、そしてきのうもう一社加わって、結果的には3社が一斉に、共同取材だ。
さすがに、判決ともなると、知らんぷりは出来ないのだろう。当日は、どうぞ、テレビ等にご注目を。

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