預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

赤子の手をひねるようなもん

長年連れ添ったiPhoneとは別れたものの、文化の違う外国の若い女性を後妻にしたような(という表現は問題あり! と怒られそうだが)アンドロイドの操作に面食らい、初めてスマホを持ったお年寄りのようにアタフタするところから脱出して、ようやく使えるようになってきたところで、一目惚れしたはずのデュアルディスプレイはまだ全然活用できていない。

初めてのスマホと言えば、そう、まだ日本でiPhoneが発売されるより前から私はスマホを使っていた。
それは確か2006年のことだ。ボーダフォンからソフトバンクになったあと(ちなみに私は、ボーダフォンの前身であるJフォン時代からずっと同じキャリアを使っていて、乗り換えたことがないが、会社のほうが変わったのである)、初めて出たのが、これ「X01HT」だ。

スライドキーボードで、OSはウインドウズモバイルだった。かっこよかった。
これも一目惚れして、すぐさまソフトバンクのショップに行って、
「スマートフォン下さい!」と言った。
すると、店員さん、「なんですか、それ?」と来た!
まだスマートフォンという言葉さえ知られていなかった時代だったのだ。
それもショップの店員が知らないぐらいだから、よっぽどであった。


ええと、なんの話書いてるんだったっけ。
アンドロイドだよ。
あの頃のウインドウズモバイルに比べたら、アンドロイド、ちょろい。

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