預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

新約聖書のブログ記事

新約聖書(ムラゴンブログ全体)
  • 祈って、どんな利益があるのか(ローマ12:11~12)

     『勤勉で怠らず、霊に燃えて主に仕える』上において最も重要な、そして誰にも求められている奉仕、それが賛美と祈り、礼拝である。その中で、賛美は比較的それが容易だと言える。音楽が嫌いな人は多くない。しかし、祈りは苦手、という人は多いのではないだろうか。『祈って、どんな利益があるのか』とも、ヨブ記(21... 続きをみる

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  • 礼拝を休んではいけないと考えてはいけない(マルコ12:28~31)

     「神様を第一にしなさい」と教会では教えられる。ただ、それをもし、「礼拝を休んではいけません」という意味だと捉えるなら、それは律法主義となり、礼拝が苦行となってしまう。  主は言われた。「安息日にしていいのは、殺すことか、生かすことか」と。つまり、大事なのは、「どちらが神の御心に適うのか。どちらが... 続きをみる

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  • 製造者責任法〈PL法〉(ガラテヤ5:1)

     神様が私達をクリスチャンへと導いたのは、私達に自由を与えるためであると聖書は言う。そう、クリスチャンになるということは、罪と死から解放され、呪いや祟り、偶像の束縛からも自由になることなのである。  ただ、自由というものは、ルールがあってこそ成り立つものであることを忘れてはならない。例えば、もし交... 続きをみる

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  • 礼拝は、守ってはいけない(ローマ12:1~2)

     神は憐れみ深いお方である。それゆえに『あなたがたにお願いします』とパウロは私達に、霊的な礼拝を捧げるようにと言う。それが何故、命令ではなく、お願いなのか。それは、もし礼拝が規則なら、それは嫌でも「守る」ものとなってしまうからだ。本当は嫌だけど規則だから守る……そこに神への愛はない。なおさらのこと... 続きをみる

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  • 持ちつ持たれつ(エペソ4:11~15)

     信仰は、知識や教理、神学でするものではない。例えば、「音楽はテクニックではなく心だ」と言うように。どんなに技術や知識が豊かでも、心のこもっていない冷たい音楽は感動を生まないのと同じく、どんなに知識・神学が豊かでも、神への信頼が無ければ、信仰の意味が無い。  しかし、だからと言って、知識や教理が不... 続きをみる

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  • 死というものに直面する今だから(Ⅱコリント4:16~5:4)

     外なる人が衰えると(老化、病…)気落ちし、心が弱るのが普通である。  確かに、肉体はいずれ滅びる。しかし、それは魂の器に過ぎないのであって、私達は、地上の幕屋が壊れても、神の下さる建物があることを知っているから勇気を失わない。そして、その「天から与えられる住まい」を着たいと望んでいる。  とは言... 続きをみる

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  • この際、新約からもリマーカブルなやつを(Ⅰコリント7:7~15)

     夫婦の内、一方がクリスチャンなら、その夫(妻)は聖められている、と聖書は言う。これは、その夫(妻)が信仰を持っていなくても救われている、ということだろうか。  聖書には難解な箇所がある。意見の分かれるところもあるだろう。しかし救いに関する教えだけは曖昧にしてはならない。  救いの条件は何か。それ... 続きをみる

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