預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

詩篇のブログ記事

詩篇(ムラゴンブログ全体)
  • 詩篇55

     ダビデには沢山の敵がいた。中でも筆頭はサウル王(義父)、次にはアブシャロム(実子)だろう。実に厄介な敵が揃ったものである。倒すのは重荷だ。負けても辛いし勝っても辛い。しかし、彼らなら何とかなる、と12節。事実、ダビデは勝利を得た。しかし、そうではなくて(彼らが敵なのではなくて)、共に礼拝した信仰... 続きをみる

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  • 詩篇54

     ジフ人がサウルにダビデの居所を密告した時の詩である。ダビデは52篇でもドエグに密告されていたが、いずれの場合も、その場所を襲われて死ぬことはなかった。神の守りであろう。だから私達も密告されても大丈夫、と言われてもピンと来ない。神は、この詩を通して何が言いたいのか。それは、救いについてである。  ... 続きをみる

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  • 詩篇53

     53篇は、14篇と殆ど同じである。だから片方は要らない、と言っていいか。それなら福音書も4つも要らないという事にもなる。いや、そんなはずはない。聖書である以上、その存在には意義があるはずだ。  14篇との違いは5節だ。特に『見よ。彼らが恐れのないところで、いかに恐れたかを』という一文は不思議だ。... 続きをみる

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  • 詩篇52

     サウルの忠実な家来ドエグは、ダビデに与したアヒメレクを始めとする祭司達85人をサウルの命令により虐殺した。それ以上に、乳飲み子に至るまでだ。それを非難しているのが、1~4節である。『それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き』と容赦なき裁きが宣告されている、それが5節である。が、ドエグが本当にそういう目... 続きをみる

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  • 詩篇51

     「ただ、神様にだけ罪を犯した」とダビデは言う。彼は偶像を拝んだのか、それとも神を呪ったのか。いや、他人の奥さんを奪い、その夫(自らの部下ウリヤ)を殺したのだ。被害者はウリヤである。ダビデはウリヤに対して罪を犯したのだ。勿論、それは神の前に罪である。しかし「ただ、神様にだけ罪を犯した」とはどういう... 続きをみる

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  • 詩篇50

     神は、御自身が審判者としてイスラエルを「告発する(新共同訳)」(新改訳では、戒めよう)と言う。その証人として、天と地を呼び寄せる、と。その告発の内容は8~13節だ。ここで神は「いけにえが欲しいのではない」と言う。民が年貢を納めていない(神のものを盗んでる)と怒っているのではない訳だ。そもそも、獣... 続きをみる

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  • 詩篇49

     「どうして私は恐れなければならないのか」と詩人は言う(5節)。それは「主よ、何故ですか!」という嘆きかと言えばそうではない。続く7~9節には「人は必ず死ぬ」「命は買い戻せない」という事が言われている。つまり、文脈としては「豊かな富を誇る人などから中傷されても、どうって事はない。人は必ず死ぬ」とい... 続きをみる

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  • 詩篇48

     「シオン」は、エルサレム(その住民)、あるいは、ソロモンが建てた神殿のある丘をシオンとも呼ぶ。いずれにしてもごく狭い範囲である。そのシオンにおいて神は大いにほめたたえられるべき方だというのであるが、はて、神は全地でほめたたえられるべきお方ではないのか。そう、ここで言うシオンとは、単なる丘などの事... 続きをみる

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  • 詩篇47

     他の詩と違い、47篇には嘆き、呻きというようなものが無い。皆無だ。あるのは、ただ勝利。ヘブル人をカナンの地に導いてくれたいと高き神を誉めよと言う、この詩は実に神の勝利の詩だ。  ただ、その時、神がどんな奇跡を行ったのかなどという事は問題ではない。何故なら、旧約の出来事は、新約で示された神の御心(... 続きをみる

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  • 詩篇46

     苦難の時、必ずそこに居まして助けて下さる(新共同訳)、それが神だと言う。頼もしい限りである。だが、何故いつもそこに居るのか。神のいる所に災いがあるという事か。いや、神が居る居ないに拘らず、人生に苦難はある。問題は、その時に助けがあるかどうかだ。  そこで、神は助ける、と聖書は言う。「ならば、どう... 続きをみる

  • 詩篇45:12~17

     ここには「御子」と「娘」の婚礼の様子が描かれているが、それは霊的には、キリストと教会の事である。そして、それは恋愛に基づく結婚ではなく、一心同体となる事を意味している(エペソ5:22~31)。  夫婦は一心同体。果たしてそれは本当か。「夫は妻を自分の体のように愛せ」と聖書が教えるのは、「現実は... 続きをみる

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  • 詩篇45:1~11

     この詩は、表面的には、地上の王への賛辞であると見える。が、実は、主の主・王の王キリストの事を歌っている「メシア詩篇」である。  油注がれたキリストである御子は信じる者が救われる為にと身代わりに十字架で死に、葬られた。その葬りの時、キリストの体は没薬とアロエと香料(肉桂も香料)に包まれた。勿論、香... 続きをみる

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  • 詩篇44:9~26

     イスラエルは神の力に頼って様々な戦いに勝利した。それゆえに『御名をとこしえにほめたたえます』と8節で結ばれた。『それなのに』神に見捨てられた、と9節から16節は言うが、それはイスラエルが神により頼まず、他の神(偶像)を頼みとしたからである。つまり、イスラエルが神に見捨てられたという事実(殆どの人... 続きをみる

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  • 詩篇44:1~8

     一読した限り、敵と戦って勝利出来たのは神のおかげだ、というようなことが書かれていると思われる。確かにイスラエルは数々の戦いを神の力によって勝利した。だから? 聖書は私達にも「勇ましく戦え」と勧めているのだろうか。  確かに、人生は戦いだ。しかし、それは決して隣人との戦いではないし、隣国との戦いで... 続きをみる

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  • 詩篇43

     『わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか』…それは、神に絶望する必要は無い、ということである。何故なら、神の裁きは公正であるからだ。ゆえに詩人は『欺きと不正の人から私を助け出してください』と訴える。詩人の周りには、欺く人、不正な人が取り巻いていたのだろう。いやむしろ、この世自体が、欺きと... 続きをみる

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  • 詩篇42:5~11

     魂が渇いて命の水を慕い求めていた詩人は、言わば霊的断食状態の中で断食の明ける日を期待しているのかと思えば、なんと、絶望していると言うのだ。「何故?」と詩人自身、自らに問いかける。それは、絶望している理由を聞きたいのではない。「絶望する必要はないでしょ?」と主張している、それが「何故?」だ。だから... 続きをみる

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  • 詩篇42:1~4

     私の魂は渇いている、と詩人は言う。命の水(霊的栄養=賛美、祈り、礼拝)が足りないのだ。それは、荒野を逃げ惑っているという状況だから無理もないことだ。だから「いつになったら思う存分、礼拝出来るだろうか」と、エルサレムにいた頃の礼拝の満足感などを思い出しながら、それが出来ない今の魂の渇き(胸の内、そ... 続きをみる

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  • 詩篇41

     聖書は、ある特定の、時代・宗教的背景・政治的状況の下で書かれているということを踏まえて読まなければ、正しく理解することは出来ない。例えば、主は弟子達を伝道に遣わす際「神の為に働く者が食べ物を与えられるのは当然」と言われた。それは、ユダヤ(単一宗教社会)においてこそ、のことであり、今の日本では当然... 続きをみる

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  • 詩篇40

     嘆き一辺倒という訳ではない。記念でもない、アルファベット詩でもない。では、教訓? 預言? この詩は何か。  1~2節は、救いの表現である。私達も、これとほぼ同じプロセスを通る。主を呼び求めて(底無し沼から引き上げられるように)救われるのだ。救いは、自分の行い、努力、修行などにはよらない。救い主に... 続きをみる

  • 詩篇39

     舌は悪、死の毒に満ちている、不義の世界だ、とヤコブ書では厳しく指摘されている。ダビデも『舌で罪を犯さないために』と沈黙した。ただ問題は、『よいことにさえ、黙っていた』(別の翻訳では「良いことさえも何も言わなかった」)というところだ。それで苦しくなった、というのである。  たまりかねて、ダビデは口... 続きをみる

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  • 詩篇38

     自らの過ち、罪の経験、その苦しさを忘れないように(記念の為に)、ダビデはこの詩を、読者の為にではなく、自身の為に書いた。その苦しみの表現が全篇に渡って切々と記されている。それでいて、表題には「賛歌」とある。果たして、この詩から私達は何を学ぶべきか。  唯一、前向きな信仰が見られるのが13~15節... 続きをみる

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  • 詩篇37:35~40

     『平和の人には子孫ができる』と言うが、ある人はこの言葉に違和感を覚え、ある人(例えば、不妊で悩む人)は躓くかもしれない。これは翻訳の問題である。『子孫ができる』は直訳は『未来がある』であって、新共同訳では、ちゃんとそう訳されているのに、不思議だ。  さて、この37篇は「この世にあって悪は栄える」... 続きをみる

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  • 詩篇37:30~34

     正しい者は知恵を語る、と詩篇は更に言う。知恵と言えば、箴言だ(知恵についての教えが99回も出て来る)が、その中でも注目すべきは『主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである』(箴 9:10)だ。真の神がおられると知る(そして従う)こと、それが「知恵の初め」だと言うのである。口語訳で... 続きをみる

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  • 詩篇37:23~29

     「人の歩みが確かにされる」とは、人生が安定する、ということだろうか。いや、続く24節では『その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない』とある。その人は倒れない、とは言っていない。倒れても致命傷にはならないだけで、普通に倒れることもあるということだ。それを「安定」とは言えない。そもそも、世にあっ... 続きをみる

  • 詩篇37:8~22

     『怒ることをやめ』よと、この詩は言う。確かに、信仰者は柔和で温厚で人格者、というイメージがあるだろうから、怒りは相応しくないかもしれない。特にキリスト教は、愛し合いなさい、赦し合いなさい、受け入れ合いなさいと教えるのだから尚更だ。しかし『怒っても罪を犯してはなりません』(エペソ4:26)とある... 続きをみる

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  • 詩篇37:1~7

     悪が栄えるのを見るときに、怒りと共に、もしかしたら妬みも感じる、ということがあるかもしれない。「そうだ、罪の限りを尽くして、死ぬ間際に悔い改めれば……」と。そんな考えを持たないように(それは甘い)ということが言いたい1節である。何故なら、彼らは必ず倒れる時が来る、と2節。だから主に信頼して、真面... 続きをみる

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  • 詩篇36

     『罪は悪者の心の中に語りかける』と言うが、罪は生き物ではないし、口も持たない。結局は自分だ。そして、「語りかける」というヘブル語「ネウム」は「お告げ」を意味する。例えば「神のお告げ」のように、罪の性質に従う自分自身が自分の心にお告げをする、ということだ。そして、その「お告げ」に従って罪を行なう(... 続きをみる

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  • 詩篇35

     例によって、苦しみの叫びと悲痛な祈りだ。しかし、ダビデには、信仰による勝利の確信がある。だったら何故、神への批判があるのか。『目をさましてください』(つまり「正気に戻って下さい」)とダビデは神に訴える。神のしていること(悪を放置し、沈黙していること)は間違ってる、と批判しているのである。なのに、... 続きをみる

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  • 詩篇34:13~22

     心にあることを口が話す、と主は言われた。例えば、「お世辞を言ってやろう」という思いが心にあるから、口からお世辞が出るのである。心にも無いことは口から出ないのだ。ゆえに、心に何を満たすかが重要である。もし、聖霊に逆らうことを言うなら、それは、神を恐れる思いが心に無いからである。ゆえに、その言葉によ... 続きをみる

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  • 詩篇34:9~12

     「主を恐れる(主を愛し、信頼し、従う)なら、乏しいことがない」と聖書は言う。これは、クリスチャンは金持ちになれる、ということか。いや、これは、若い獅子や若者(イザヤ40:30~31参照)のように力があっても、やがては衰え、死ぬということに対してのクリスチャンの姿を言っているのだ。つまり「外なる... 続きをみる

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  • 詩篇34:1~8

     『私の口には、いつも、主への賛美がある』とダビデは言う。が、実際のところ詩篇は、かなりの部分が、ダビデの嘆きと悲痛な祈りの言葉によって占められているではないだろうか。特に、この34篇は表題にある通り、極限まで追い詰められた時(Ⅰサムエル21:10~15参照)に歌ったものだが、彼は『非常に恐れ』て... 続きをみる

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  • 詩篇33:20~22

     前回の「神の慈愛(救いの完成)を待ち望もう」の続きである。それを待ち望むのは、私達の「心」ではなく「魂」だと言うのだが、どういうことだろう。心では「宗教なんか要らない」と思う人もいるかもしれない。頭では「天国なんか無い」とも考えるかもしれない。しかし、魂は救いを求める、それが人間だということだ。... 続きをみる

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  • 詩篇33:18~19

     「主を恐れる者」とは、この世の財力、数の力などに拠り頼まず、神にのみ拠り頼む者である。しかし、全部、神任せでいいという訳ではない。自分の果たすべき責任もあるし、パウロも、自分には人一倍、人間的なものに頼るところがある(エリートのパリサイ人で、その熱心さが自分の頼る力だ)と言っている。ただし、キリ... 続きをみる

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  • 詩篇33:13~17

     神は人の心を調べる。神は全知であり、何も神の前に隠すことは出来ないはずなのに、『地に住むすべての者に目を注がれる』のだという。一人残らず、その『わざのすべてを読み取る』と。そこまでして何を調べようというのか。それは、人がその心にどんな計画を持っているか、だ。何故なら、10~11節に言われていたよ... 続きをみる

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  • 詩篇33:9~12

     神の言葉によって天と地は造られた。『主が命じられると、それは堅く立つ』と9節にある通りだ。ただ、詩人が言いたいのは「神の言葉は絶対だ」ということであり、その一例としての天地創造をもって「ほらね」と示しているのである。そして、神の言葉の絶対性の説明として「主の計画はなるが、国々の計画は神が虚しく(... 続きをみる

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  • 詩篇33:1~8

     賛美は心の直ぐな人達(自らを罪人と認めて、悔い改め、赦され、救われた人)に相応しい。それは、お似合いであるというような意味ではない。救われた者こそが賛美するべき、ということである。いやむしろ、救われた者が賛美しないでどうするのか。何故なら、賛美は礼拝の中心だからだ。例えば、説教を聴くことも、神の... 続きをみる

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  • 詩篇32

     罪を赦された人は幸いである。だから悔い改めなさい、という内容の(比較的シンプルな)詩である。が、幾つか引っかかるところもありはする。まず『心の直ぐな人』や、『正しい者たち』、『心に欺きのないその人』という表現だ。それは「悔い改めて罪を赦して頂いた人達」を指すのは間違いはない。つまり、神を信じ従う... 続きをみる

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  • 詩篇31

     悲痛な訴えと信仰の告白が交錯する、複雑な詩である。何があったのかダビデは極度の苦しみの中で、「神に見捨てられた」と不信仰になったのだとも言う。しかし彼は、そこから立ち直り、信仰による勝利の確信を持つに至る。不安と恐れの入り混じる中で、どうすれば勝利の確信が持てるのか。その秘訣は何か。  まずは、... 続きをみる

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  • 詩篇30

     致命的な危機からの脱出と回復、それが、この詩の内容であるのだが、どんな危機があり、どのように脱出したのか。ダビデは「私を見殺しにして神様に何の益がありますか。あなたを賛美出来なくなってもいいんですか」と、駆け引きをするかのように訴えた。それが功を奏したのか「神は、嘆きを踊りに変えてくださいました... 続きをみる

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  • 詩篇29

     主に栄光を(返せ、ではなく)帰せよ、と聖書は言う。一旦、奪ってから返す、は良くない。栄光は主から出て主に帰るもの(誰のものでもなく、初めから主のもの)なのだ。では、どうやって帰らせるのか。それは、祭司として偉大な神を礼拝することによってである。その神の偉大さが3~10節に記されている。「主の声は... 続きをみる

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  • 詩篇28

     まず祈り。例によって「助けて、救って」と訴えている。そのあと独白としての「信仰の告白」が続く。ところが、最後の祈りでは、またもや「救って下さい」と訴えるのである。不安や恐れの中、信仰によって勝利の確信に至ったものの、それでも不安は完全には拭い去れなかった、ということだろうか。ならば、この詩は私達... 続きをみる

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  • 詩篇27

     主を待ち望め、とはどういうことか。心を強くせよ、ということは、気弱な人はだめだということだろうか。『雄々しくあれ』という、なんとも力強い言葉ではあるが、「漠然とした励まし」などではなく、具体的・実際的な力を、この詩から受け取りたい。  ダビデは『一つのことを主に願った』。願い事があるということは... 続きをみる

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  • 詩篇26

     『私を弁護してください』とダビデは言うが、それは助けを求めていると言うより、むしろ、裁き(正しい判断)を要求しているのである。新共同訳で『主よ。あなたの裁きを望みます』と訳されている通りだ。それも「私は正しく歩んだ」ということを判断してほしいというのである。そして、これからもそうするつもりだ、と... 続きをみる

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  • 詩篇25

     アルファベット詩は、その内容を覚えやすくさせるという効果がある。では、この詩で何を覚えさせたいというのだろう。特徴的なのは「小道」という言葉だ。詩篇に4回ある内の2回がここに出てくる。  主の小道とは、信仰者が歩むべき道のことだ。つまり「どのように生きるべきか」ということであるが「それを教えて下... 続きをみる

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  • 詩篇23

     主イエスが私の羊飼い。だから安心、安全、乏しいことがない。確かに。だが、たとえ死の陰の谷を歩くこと(絶体絶命というような状況)があっても恐れないと、私達は言えるだろうか。いや、高い所から落ちそうな時、恐怖を感じるのが普通ではないだろうか。そう、ここで聖書が言う『恐れない』のは『わざわいを』であっ... 続きをみる

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  • 詩篇22(クリスマスのメッセージ)

     主の受難を預言した「十字架の詩篇」である。その預言の通り、主は十字架の上で『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』と叫ばれた。本当なら、罪ある人間である私達が神から見捨てられるべきなのに、御子が代わりに見捨てられて下さった。信じる者の罪を赦すためだ。その為に(見捨てられて死ぬ... 続きをみる

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  • 詩篇21

     20篇において、神の民は王の為に祈り歌った。その祈りに神が答えて下さったゆえ王は勝利を取れた。その感謝の歌、それが21篇だとされている。すなわち、これは王の王キリストの勝利の歌なのである。  ただ8節以降は神の裁きが記されている。神を憎む敵共を一人残らず見つけ出し地獄の炎で焼く、と。それは未信者... 続きをみる

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  • 詩篇20

     聖書は、神から人間(私)へのラブレターだと言われる。確かにそうだ。だが、聖書の言葉を何でもかんでも自分に当てはめていいというわけではない。例えば『主があなたの願いどおりにしてくださいますように』と聖書が私に語りかけているのだから、私の願いが何でも叶うはずだ、と考えてはならないのである。何故なら、... 続きをみる

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  • 詩篇19

     6節までは宇宙について、7節以降は主の戒めについて、と2つの話に分かれているように思えるが、そこには一本の筋が通っている。それは「神の秩序」だ。  まずは宇宙。それは規則正しく動いている。それは決して偶然にできたものではない。全能の神の御手の業である。ゆえに、天は神の栄光を証しし『大空は御手の業... 続きをみる

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  • 詩篇18 ③

     表題にある通り、この詩はダビデの実体験(サウルの手から救われたこと)を歌っている。だが、それにしては、やや誇張されていると感じる。例えば『私は私を憎む者を滅ぼしました』だが、ダビデを憎んだサウルを、ダビデは殺さなかったのに、滅ぼしたとは言い過ぎだ。  詩篇は讃美歌集であると同時に、預言書としての... 続きをみる

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  • 詩篇18 ②

     ダビデの祈りが神に届き、神は『天を押し曲げて降りて来られた』。それは、単にダビデを助けるためだけのことではない。『この主を呼び求めると、私は、敵から救われる』というダビデの言葉が、実は、人間の救いのことをも指している(ローマ10:13参照)のと同じだ。そう、まさしく神は、救いの道を開くために『天... 続きをみる

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  • 詩篇18 ①

     サウル王から命を狙われるという絶体絶命の危機に、ダビデは神に祈った。すると、その祈りが神に届いた(命が救われた)というのである。さすがは信仰者ダビデというところか。ところが、そのダビデでさえ、子供が助かるようにとの祈りは神に届かなかったのである。  「神に届く祈り」と「届かない祈り」の違いは何か... 続きをみる

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  • 詩篇17

     神に心を調べられても何も見つからない、とダビデは言うが、それは本当か。彼は、それほどに完璧な人間だっただろうか。いや、不倫もしたし、その夫を騙して死に至らしめもした。どこが『無法者の道を避けた』と言うのか。事実、彼は自らの罪を認めて、それでも「あまり厳しく責めないで下さい」と詩篇6:1で、神の憐... 続きをみる

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  • 詩篇16

     土地の分割に使う「測り綱」(巻き尺の代わりのもの)が、自分の好む所に落ちた(その土地が自分のものになった)というのだが、どんな土地を好んだのだろうか。悪い土地を好む人はいない。例えばロトは、豊かな土地を選んだ。しかし、人間的な目で見た「良い土地・条件」は、必ずしも良いとは限らない。それはロトの結... 続きをみる

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  • 詩篇15

     神に従って生きる(正しく歩み、義を行う)人、『その人は』こんなことをしない、と3~5節まで続く。つまり、それが信仰者の生き方だ、ということである。そして、その人は『決してゆるがされない』。  具体的には、どんな生き方をするというのか。まず「利息を取らない」。ということは、貸した分は返してもらって... 続きをみる

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  • 詩篇14

     1~3節は、ローマ3章で引用されているように「全ての人は罪に捕らわれている」ということを言っている。皆が不法を行っている、ということだ。で『不法を行う者らは誰も知らないのか』と続くが、ここで詩人は、何を言いたいのか。不法を行う者らが「知らない」のは「何」か。とにかく、彼らは、何かを知らないがゆえ... 続きをみる

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  • 詩篇13

     『いつまでですか』と、4度叫ぶ詩人。苦しみの中での呻きのような祈り。それが、この13篇である。そのような姿は「信仰の勇者」には見えないかもしれない。しかし、果たして、苦しむことは不信仰なのか。信仰者はいつでも弱みを見せず、強く雄々しくあるべきか。確かに聖書は「いつも喜び、全てのことに感謝せよ」と... 続きをみる

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  • 詩篇12

     世の中で、卑しいことが崇められているときには、悪者が至る所で横行する、とダビデは言う。それはそうだろう。そうなるに違いない。残念ながら本当のことだ。が、アーメン! とは言いにくい。  あえて、そんな嘆きの言葉で詩を結ぶのは何故か。この詩は、形式的には、「悪者が横行する」という結びの句に対して、「... 続きをみる

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  • 詩篇11

     言葉(音)は、空気の振動によって耳に届く。それが「聞く」ということだが、その聞いた言葉が心を動かす。時には、それが更に心の奥底に深く刺さる場合がある。それを「魂に届く」と言うのだろう。  さて、「誰か」がダビデの魂に言う。『鳥のように、お前達の山に飛んで行け』と。それは、鳥のように「何かに身を潜... 続きをみる

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  • 詩篇10

     悪が栄える陰で『不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、倒れる』。そのような現実を見ることがある。それゆえに悪者は『神は忘れている。顔を隠している』と、神を侮る。  面白いのは、彼らは、神の存在を否定してはいない、ということだ。ただ、侮っているのである。『私は揺るぐことがなく、代々にわたっ... 続きをみる

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  • 詩篇9

     「アルファベット詩」と呼ばれる詩であるが、肝心なのは形式ではなく、内容だ。この9篇は、神に背を向ける人々に対する裁きと共に、「貧しい者を神は決して忘れない」と宣言する。  すると、聖書は、貧乏は良いことだと言うのだろうか。確かに「金持ちが天国に入るのは……難しい」と主は言われたし、「貧しい者は幸... 続きをみる

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  • 詩篇8

     宇宙の余りの壮大さのゆえに『人とは何者なのでしょう』とダビデは言う。よく言われるように、広い宇宙から見れば人間など、踏みつぶしても気付かない虫のようにちっぽけな者なのである。なのに神は、気付かないどころか、『これを心に留め、顧み』て下さった、というのだ。なんという恵みだろうか。その恵みの大きさに... 続きをみる

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  • 詩篇7

     6篇と同じく「嘆きの祈り」から始まっている。が、6篇とは違って7篇では、この苦しみは自分のせいではない、とダビデは言う。  問題は、何故、神のしもべが、いわれなき苦しみを受けるのか、だ。「信仰を持てば、神が守って下さるのだから、苦しみに遭わないはず」と考える人にとっては、「神を信じても苦しむのな... 続きをみる

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  • 詩篇6

     苦しみのあまり、嘆きで疲れ果て、涙の海で溺れそう……そんなダビデだが、そのような状況を招いたのは、自分の罪のゆえであることを彼は認めている。恐らく、バテ・シェバとの一件(及び、部下殺し)であろう。本来なら、責められて当然、神が憤るのも当然。自分のせいなのだから、どこにも言って行く先が無い。しかし... 続きをみる

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  • 詩篇5

     ダビデを殺そうと待ち伏せし、罠を張り巡らせている敵がいる。「だから彼らから私を守って下さい」という嘆きの祈りから、この詩は始まる。ダビデが狙われる理由、それはダビデが王という特別な権威・地位にあったからだ。それは私達一般人には無縁なことと思えるかもしれない。しかし、そうではない。何故なら、ダビデ... 続きをみる

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  • 詩篇4

     ダビデが息子から命を狙われるという危機を、主によって脱したのちに書いた詩である。だが、そこには、感謝ではなく、叫びとも言うべき祈り・願いが記されている。ダビデには、なおも命の危険が迫っていたのだ。しかし、決して失望ではない。ダビデは、今度もまた主が助けて下さるという確信があった。『あなたは、私の... 続きをみる

  • 詩篇3

     ダビデは、神の目にかなって、選ばれた王だ。ならば祝福されるはず、と考えるのは当然である。しかしダビデは、王であるにもかかわらず、命を狙われて逃亡生活を強いられた。それも、実の息子アブシャロムから命を狙われたのである。  何故、そのような災いにあうのか。罪を犯したからか。確かに、ダビデはバテ・シェ... 続きをみる

  • 詩篇2

     詩篇の預言書的側面を示すのが、この第二篇(メシア詩篇と呼ばれているものの一つ)である。1~2節にある通り、指導者達は手を組んでキリストに逆らった。指導者に限らず「国民」もである。特に、1節の「つぶやく」は、1:2の「口ずさむ」と同じ単語であって、人々は単につぶやいたのではなく、いつも神に逆らうこ... 続きをみる

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  • 詩篇1

     詩篇には「嘆きの祈り」が満ちている。それでも「讃美歌集」である、というのは何故か。それは、主は必ず助けて下さる、という信仰のゆえに、苦しみの中でも「主こそ神である」と告白する(それが賛美だ)からである。もし、その信仰が無ければ、残るのは嘆きだけだ。そこには救いが無い。希望の光が無い。だから、そん... 続きをみる

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