メインPCが壊れてしまった。 ハードディスクが破損したよう。 外付けに保存していたものもあるけど、Cディスクに残ってたデータは回復不能かも。 ああ、なんてこったい。 涙
預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)の新着ブログ記事
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神の住まいであるエルサレムにおいて神は圧倒的に(勇士達が誰も手も足も出ない程に)勝利したというのだが、その勝利の詩が書かれた後、エルサレムはバビロンに滅ぼされてしまう。あの「イスラエルを敵から守る」という約束はどうなったのか。 まず、「肉のイスラエルがそのままイスラエルなのではない」(ローマ9... 続きをみる
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罪を隠しているから災いに遭うのだ(すなわち、正しい信仰者は繁栄する)とヨブを責める友人達に、「真実ではない」と神は言われた。 ヨブは彼らの為にとりなして祈った。すると、その時からヨブへの神の祝福が始まったという所に目を留めたい。「真理の書」と呼ばれるヨブ記、詩篇、箴言だが、例えば詩篇109:1... 続きをみる
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皮膚に異常のある人を祭司が調べて、それがツァラアト(らい病の症状を含む重い皮膚病、NIVでは伝染性皮膚病)だと分かれば「けがれている」と宣言するのだが、紛らわしい場合は7日間隔離して、その後調べ直す。そのような処置は衛生的に妥当だと思われる。所が、「けがれている」と宣言された伝染病の患者を隔離す... 続きをみる
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「食べてはいけないものを何故、わざわざ園の真ん中に生やしたのか」 それが多くの人の素朴な疑問だ。結果、人は、その実を食べてしまったのだから、ほら見たことか、と言うところかもしれない。が、しかし、見落としてはならない。蛇が惑わすまでは、その木は人にとって何の誘惑にも躓きの石にもなっていない。目もく... 続きをみる
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名前というものは他者との区別の為にある。その点、神は唯一なのだから、本来なら名前を付ける必要は無い。だが、いつの間にやら人間は偶像を作り、それらをも神と呼ぶようになった。 そこでモーセは、「どの神なのか」と聞かれたら何と答えたらいいですか、と真の神に尋ねた。その時、神は「『わたしは在る』という... 続きをみる
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ノアは、約100年かけて箱舟を作った。その間、人々はノアから伝道されていたらしいことが伺える(Ⅱペテロ2:5参照)。もしかしたら当初には、信じた人もいたかもしれない。しかし、100年もの間、ノアが語ったことは何も起きなかった。信じていた人もその内、愛想を尽かして離れて行ったのだろう。結果的には、... 続きをみる
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「幻」は、英語では「ビジョン」である。それは、将来の計画とか目標、あるいは理想像というような意味合いで使われることが多い。しかし、ここで聖書が教える「幻」は、そのようなものではない。勿論、単なる夢や幻覚などではない。神から与えられた重要な意味のあるものである。それは、使徒18:9に、『ある夜、主... 続きをみる
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神に帰れ、とイザヤは言った。神を信じるということは、何か異常な別の世界に行ってしまうことではない。それは元に戻ること、人間の本来あるべき姿(初めの人間が罪を犯す前の、エデンの園にいた、神の愛と守りの中にある幸いな状態)に還ることなのだ。 その「帰る場所」が無い(知らない)ということは、迷子と同... 続きをみる
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神は『誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない』とは、どういうことか。主イエスも、『行って、学んで来なさい』と言われた。 ホセア6:1~3で、イスラエルの「悔い改めの言葉」を見る。表面上は、立派な言葉が並んでいる。しかし神は、続く4節で、誠実ではない、とイスラエルを非難する。何故なら、それは、本気の悔... 続きをみる
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教会に来て、聖書の教えを聞き、「神の言葉に従うのが良い事で、従わないのは悪い事だ」と、私達は知った。そして主イエスを信じて救われたのだから、何が善で何が悪かを知る事は「良い事だ」と言えるかもしれない。では、アダムとエバも、善悪を知る知識の木の実を食べて、何が善で何が悪かを知ったなら、それで良いの... 続きをみる
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アダムとエバは、神の言葉を正しく理解していなかったゆえに、蛇に誤魔化され、罪を犯してしまった。その後、人は死ぬべき者となり、悪が満ち、全ての不幸が人の世に満ちた。その始まりは、御言葉の誤解である。それが諸悪の根源と言っても過言ではないだろう。 確かに、蛇はエバを欺いた。サタンは嘘つきであると聖... 続きをみる
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弁当に付いてる割り箸の袋の中に潜んでる爪楊枝を、使いもせずに捨てるということは無いだろうか。でも(爪楊枝が不要だという訳では無いので、小さなドラム缶みたいな形のビニールケースに入った)束になった爪楊枝のパックを買うとするなら、それは資源の無駄遣いであり、地球を滅ぼす考え方と言えるのではないだろうか... 続きをみる
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造り主なる神は、人間を造り、自由意思を与えて下さった。それは、『人をご自身のかたちに創造された』、すなわち、「神の御性質に似せて造られた」という御言葉によって裏付けられる。何故なら、当然、神には自由意思があり、ご自身で「こうしよう」と思い、天地を創造されたのであり、その神の御性質に似せて造られた... 続きをみる
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「裕福で争いがある」より、「貧しくても平和」が良い、と聖書は言う。それに対して、「アーメン」と言える心でありたいが、いざ本当に貧しくなればどうだろう。例えば、夕食にパン一切れしかないなら、その家庭(夫婦間)には争いが起きるかもしれない。それゆえに裕福を求めるわけだが、そこで逆にまた競争、争いが起... 続きをみる
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発売から約一か月しか経ってないのに、もう中古品が出回ってる。 しかも、新品の倍の値段で! 新品買えるのに、なんで? 摩訶不思議。 ただいま、Amazon売れ筋ランキング38位です。 100位以内に出たり入ったり、しがみついてます。
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主は、ソドムとゴモラを滅ぼそうとされた。その町に住んでいたロトとその家族は、ノアとは違って、決して「神の前に正しい」とは言えないが、主はロトを憐れみ、救い出そうとされ、『いのちがけで逃げなさい。この低地のどこででも立ち止まってはならない』と言われた。そのあたりの低地一帯は危険な領域だからであろう... 続きをみる
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神は7日目に、全ての創造の業を休まれた。そして、その日を聖とされた。安息日に働いてはならない、という教えは、これに由来する。 しかし実際は、『父は今に至るまで働いておられます』と主が言われたように、神は休養を必要とするようなひ弱なお方ではないし、常に私達の祈りに耳を傾けておられるお方である。『... 続きをみる
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聖所(エルサレム)が踏みにじられているから助けて、と訴えている。それは歴史的には、BC586年のバビロンによるエルサレム破壊~バビロン捕囚の事だ。その後、帰還した人々の中にアサフ族がいて、賛美を導く務めを担った。つまり、この詩は、既にバビロンから解放された時点で書かれているという事だ。もう済んだ... 続きをみる
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主のはかりごとだけがなる、と聖書は言う。では、主のはかりごと(神のご計画)は何か。それは、『災いではなく、将来と希望と平安を与える計画』(エレミヤ29:11)であり、『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないものを備えている』(Ⅰコリント2:9)、... 続きをみる
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快適さのためには、ゆとり、余裕、緩やかな部分、というものが欠かせない。車のハンドルで言えば、「あそび」が必要だということだ。服もそうであるように、厳密過ぎてもルーズ過ぎても不快となる。『過ぎたるは及ばざるがごとし』という言葉の通りだ。 さて聖書も、正し過ぎてはいけない、悪過ぎてもいけない、知恵... 続きをみる
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10月1日全国発売された拙著『苦しくならない聖書の本』~福音の真理・命を守りたくて~ アマゾン売れ筋ランキングの50位くらいと100位より下とを行ったり来たりしております。非力ながら、奮闘中です。 出版社のサイトに「著者の声」として掲載されてました。よろしければお読みください。
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神のなさることは全て時にかなって美しい……はずであるが、つい、「神様、何故ですか!」「どうしてですか!」「まだですか!」と不平をこぼしてしまいやすい。時には、神様に見放されたと感じることもあるかもしれない。それは、聖書が言うように、神のなさることを初めから終わりまで見極めることなど出来ないのだか... 続きをみる
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1~3節のイスラエルの悔い改めの言葉は、本気ではなく、その場しのぎのお題目である。神は、そんないけにえより、誠実を喜ぶ(つまり、全焼のいけにえより、神を知ることを喜ぶ)。 本当の信仰者は、神を知っている。私達は、神を信じるだけでなく、知ることが必要だ。 勿論、見ずに信じる者は幸いである。私達... 続きをみる
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神はイスラエル(本当の意味での…、神の約束を信じて生まれた神の子)に対して慈しみ深い。しかし、と詩人は、それに反するかのように自らの歩みは「すべるばかりだった」と言う。その理由は、悪者が栄えるのを見て妬んだからだと。神に背く者が(神に従わないのに)何故栄えるのか。神のしもべが何故苦しみに遭うのか... 続きをみる
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「神は慈しみ深い」という宣言である。ただし、イスラエルには、である。同時に、心の清い人に。それはつまり、ヤコブ(神を求める一族=イスラエル)であると詩篇24は言う。では神はイスラエル民族以外には目もくれず、慈しみも示さないのか。それ以前にイスラエル人は皆、心が清いのか。いや、イスラエルという国に... 続きをみる
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悪者(4節)とは誰か。この詩を書いた時、詩人(ダビデ?)はかなり高齢であったと思われるが、問題は、老いても尚まだ信仰の戦いの中にある(悪者に攻撃されている)という事だ。9~13節を見ると、あたかも惨めな晩年を送っているかのようにも思える。しかし、決して神に失望してはいない。むしろ後世に伝えたいと... 続きをみる
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40篇13~17節と同じ詩である。まさか、既に書いた事を忘れたわけではあるまい。では何の為に同じ事を2回も書いたのか。それは表題にある通り「記念の為に」だ。そこが40篇との違いである。 詩篇には、アルファベット詩という形式のものがあるが、それは聞く者(読む者)に何かを覚えさせる為の形である。し... 続きをみる
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この詩からの引用が新約聖書には多くある。22篇同様のメシア詩篇だと言えるかもしれない。つまり主は、ここに示された通りの苦しみを受けられたという事だ。それも、故もなく(4節)、不当に。その事を、まず「彼らは理由無しに私を憎んだ」(ヨハネ15:25)と引用しているのだが、本当に理由が無い訳ではない。... 続きをみる
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この詩の全体像を眺めたい。31節まではイスラエルの歴史(出エジプト、その後の荒野での旅路~カナン征服~シオンが神の家として選ばれる~イスラエルの周りの国々を打ち負かす~ダビデの勝利の凱旋)である。そして、それは実は、単なる歴史ではなく「救いのプロセスの青写真」であり、それを雛型として(同じ様なプ... 続きをみる
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祝福を求める詩、と言うより、祈りである。しかし僅か7節の短い詩の中で3度「祝福して下さい」と願うのは、祈りの本質(願い事ではなく賛美)から外れている(もしかしたら「御利益信仰だ」)と言われるかもしれない。しかし、それが神のメッセージのはずはない。 そもそも信仰とは、自分が信じたい事を勝手に信じ... 続きをみる
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昨日発売開始された『苦しくならない聖書の本』 ~福音の真理・命を守りたくて~ アマゾンの売れ筋ランキングで、瞬間最大風速を記録した。 6位! 今は20位台にいるが、巻き返したい。
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『苦しくならない聖書の本』~福音の真理・命を守りたくて~ 本日発売開始です! ただいまアマゾンのランキング22位。 皆様是非、応援お願いいたします! アマゾンのサイトで「聖書」「本」で検索するとすぐ出ます。 以下は出版者様のFBでの紹介です。
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昨夜の暴風(台風)で飛ばされて来たモノ。 ありえない! おそろしい。 こんなの頭に当たったら死ぬな。 本当は、もっと散らかってたんだけど、ヨイショヨイショと端に寄せておいて、今朝撮影。
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ここには「御子」と「娘」の婚礼の様子が描かれているが、それは霊的には、キリストと教会の事である。そして、それは恋愛に基づく結婚ではなく、一心同体となる事を意味している(エペソ5:22~31)。 夫婦は一心同体。果たしてそれは本当か。「夫は妻を自分の体のように愛せ」と聖書が教えるのは、「現実は... 続きをみる
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本のタイトルは、 『苦しくならない聖書の本』 ~福音の真理・命を守りたくて~ (著者:金本友孝) 玄武書房 アマゾンの検索で「聖書」「本」を入力して現れた中から上記の本を購入して頂くと、ランキングが上がる可能性があるそうです。 よろしくお願いいたします! これを機にハンドルネームをPTKから本名に... 続きをみる
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かねてからお知らせしている新しい本の刊行が10月1日と決まりました。 まもなく、アマゾンのページが出る予定ですので、その際、本のタイトルと表紙、そしてアマゾンのページのリンクを貼ります。 過去に2冊、キリスト教出版社の「I社」から私の本が出版されています。それは2冊とも「自叙伝」(前編と後編... 続きをみる
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『平和の人には子孫ができる』と言うが、ある人はこの言葉に違和感を覚え、ある人(例えば、不妊で悩む人)は躓くかもしれない。これは翻訳の問題である。『子孫ができる』は直訳は『未来がある』であって、新共同訳では、ちゃんとそう訳されているのに、不思議だ。 さて、この37篇は「この世にあって悪は栄える」... 続きをみる
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正しい者は知恵を語る、と詩篇は更に言う。知恵と言えば、箴言だ(知恵についての教えが99回も出て来る)が、その中でも注目すべきは『主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである』(箴 9:10)だ。真の神がおられると知る(そして従う)こと、それが「知恵の初め」だと言うのである。口語訳で... 続きをみる
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「人の歩みが確かにされる」とは、人生が安定する、ということだろうか。いや、続く24節では『その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない』とある。その人は倒れない、とは言っていない。倒れても致命傷にはならないだけで、普通に倒れることもあるということだ。それを「安定」とは言えない。そもそも、世にあっ... 続きをみる
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心にあることを口が話す、と主は言われた。例えば、「お世辞を言ってやろう」という思いが心にあるから、口からお世辞が出るのである。心にも無いことは口から出ないのだ。ゆえに、心に何を満たすかが重要である。もし、聖霊に逆らうことを言うなら、それは、神を恐れる思いが心に無いからである。ゆえに、その言葉によ... 続きをみる
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前回の「神の慈愛(救いの完成)を待ち望もう」の続きである。それを待ち望むのは、私達の「心」ではなく「魂」だと言うのだが、どういうことだろう。心では「宗教なんか要らない」と思う人もいるかもしれない。頭では「天国なんか無い」とも考えるかもしれない。しかし、魂は救いを求める、それが人間だということだ。... 続きをみる
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今日は涼しかったので、草花を買って来て、教会の玄関に飾ってみた。
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「主を恐れる者」とは、この世の財力、数の力などに拠り頼まず、神にのみ拠り頼む者である。しかし、全部、神任せでいいという訳ではない。自分の果たすべき責任もあるし、パウロも、自分には人一倍、人間的なものに頼るところがある(エリートのパリサイ人で、その熱心さが自分の頼る力だ)と言っている。ただし、キリ... 続きをみる
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新しい本(聖書の解説本)の出版準備中だが、2~3日前に、表紙デザインの方向性を決めるためにと、2つのデザイン案が提出されてきた。あくまでも方向性を決めるためということだが、あれこれと注文を付け、出版社も同意し、その線で行きましょうということになった。よって、あとはデザイナーさん次第。どこのどなたか... 続きをみる
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神は人の心を調べる。神は全知であり、何も神の前に隠すことは出来ないはずなのに、『地に住むすべての者に目を注がれる』のだという。一人残らず、その『わざのすべてを読み取る』と。そこまでして何を調べようというのか。それは、人がその心にどんな計画を持っているか、だ。何故なら、10~11節に言われていたよ... 続きをみる
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2007年の「街中コンサート」という一般のライブで録音した。その時の写真がこれ。牧師になって15年、46歳の時だ。 作曲したのは1988年(まだ神学生1年の時)。 オリジナルはZZTOPみたいな感じにしようと多重録音したハードロックだったけど、バンドではリズムを変えて、へビィなシャッフルにした。 ... 続きをみる
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