預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)

愛される詩篇。その麗しさだけでなく、嘆き、呻きも共感を呼ぶが、預言書としての深い真実があることを解きほぐす。そのほか、つれづれに。

預言書としての詩篇(から始まって、今や、様々)の新着ブログ記事

  • ショック!

    メインPCが壊れてしまった。 ハードディスクが破損したよう。 外付けに保存していたものもあるけど、Cディスクに残ってたデータは回復不能かも。 ああ、なんてこったい。 涙

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  • 詩篇76(守る、守る、守る!)

     神の住まいであるエルサレムにおいて神は圧倒的に(勇士達が誰も手も足も出ない程に)勝利したというのだが、その勝利の詩が書かれた後、エルサレムはバビロンに滅ぼされてしまう。あの「イスラエルを敵から守る」という約束はどうなったのか。  まず、「肉のイスラエルがそのままイスラエルなのではない」(ローマ9... 続きをみる

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  • 死人が生き返るより、もっと!(ヨブ記42:7~17)

     罪を隠しているから災いに遭うのだ(すなわち、正しい信仰者は繁栄する)とヨブを責める友人達に、「真実ではない」と神は言われた。  ヨブは彼らの為にとりなして祈った。すると、その時からヨブへの神の祝福が始まったという所に目を留めたい。「真理の書」と呼ばれるヨブ記、詩篇、箴言だが、例えば詩篇109:1... 続きをみる

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  • 医者じゃない!(レビ記13:9~13)

     皮膚に異常のある人を祭司が調べて、それがツァラアト(らい病の症状を含む重い皮膚病、NIVでは伝染性皮膚病)だと分かれば「けがれている」と宣言するのだが、紛らわしい場合は7日間隔離して、その後調べ直す。そのような処置は衛生的に妥当だと思われる。所が、「けがれている」と宣言された伝染病の患者を隔離す... 続きをみる

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  • 続・毒じゃない!(創世記2:8~9、15~17)

     「食べてはいけないものを何故、わざわざ園の真ん中に生やしたのか」 それが多くの人の素朴な疑問だ。結果、人は、その実を食べてしまったのだから、ほら見たことか、と言うところかもしれない。が、しかし、見落としてはならない。蛇が惑わすまでは、その木は人にとって何の誘惑にも躓きの石にもなっていない。目もく... 続きをみる

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  • 「名前のいらない神」の御名(出エジプト3:13~14)

     名前というものは他者との区別の為にある。その点、神は唯一なのだから、本来なら名前を付ける必要は無い。だが、いつの間にやら人間は偶像を作り、それらをも神と呼ぶようになった。  そこでモーセは、「どの神なのか」と聞かれたら何と答えたらいいですか、と真の神に尋ねた。その時、神は「『わたしは在る』という... 続きをみる

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  • 順番が違うのよ!(創世記9:1~7)

     ノアは、約100年かけて箱舟を作った。その間、人々はノアから伝道されていたらしいことが伺える(Ⅱペテロ2:5参照)。もしかしたら当初には、信じた人もいたかもしれない。しかし、100年もの間、ノアが語ったことは何も起きなかった。信じていた人もその内、愛想を尽かして離れて行ったのだろう。結果的には、... 続きをみる

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  • まぼろし(箴言29:18)

     「幻」は、英語では「ビジョン」である。それは、将来の計画とか目標、あるいは理想像というような意味合いで使われることが多い。しかし、ここで聖書が教える「幻」は、そのようなものではない。勿論、単なる夢や幻覚などではない。神から与えられた重要な意味のあるものである。それは、使徒18:9に、『ある夜、主... 続きをみる

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  • 詩篇75(断言)

     詩篇は単なる文学ではないし、詩人の心情を詠うだけでもない。聖書(神のメッセージ)だ。そして聖書は、信じる者が滅びる事のないようにというのが狙い(目的)であって、聖書の教えの全てが(詩篇も)その為にこそ存在するのである。そういう意味で「『滅ぼすな』の調べに合わせて」という表題は、まさに、である。 ... 続きをみる

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  • かえれ、帰れ、還れ。(イザヤ55:6~13)

     神に帰れ、とイザヤは言った。神を信じるということは、何か異常な別の世界に行ってしまうことではない。それは元に戻ること、人間の本来あるべき姿(初めの人間が罪を犯す前の、エデンの園にいた、神の愛と守りの中にある幸いな状態)に還ることなのだ。  その「帰る場所」が無い(知らない)ということは、迷子と同... 続きをみる

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  • Revisit? No, Brush Up(ホセア6:6)

     神は『誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない』とは、どういうことか。主イエスも、『行って、学んで来なさい』と言われた。  ホセア6:1~3で、イスラエルの「悔い改めの言葉」を見る。表面上は、立派な言葉が並んでいる。しかし神は、続く4節で、誠実ではない、とイスラエルを非難する。何故なら、それは、本気の悔... 続きをみる

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  • 知らなくてもいい事がある(創世記2:15~17)

     教会に来て、聖書の教えを聞き、「神の言葉に従うのが良い事で、従わないのは悪い事だ」と、私達は知った。そして主イエスを信じて救われたのだから、何が善で何が悪かを知る事は「良い事だ」と言えるかもしれない。では、アダムとエバも、善悪を知る知識の木の実を食べて、何が善で何が悪かを知ったなら、それで良いの... 続きをみる

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  • 毒じゃない!(創世記1:26~28)

     アダムとエバは、神の言葉を正しく理解していなかったゆえに、蛇に誤魔化され、罪を犯してしまった。その後、人は死ぬべき者となり、悪が満ち、全ての不幸が人の世に満ちた。その始まりは、御言葉の誤解である。それが諸悪の根源と言っても過言ではないだろう。  確かに、蛇はエバを欺いた。サタンは嘘つきであると聖... 続きをみる

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  • ようじについてのささいな想起

    弁当に付いてる割り箸の袋の中に潜んでる爪楊枝を、使いもせずに捨てるということは無いだろうか。でも(爪楊枝が不要だという訳では無いので、小さなドラム缶みたいな形のビニールケースに入った)束になった爪楊枝のパックを買うとするなら、それは資源の無駄遣いであり、地球を滅ぼす考え方と言えるのではないだろうか... 続きをみる

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  • 自由だああ!(創世記1:26~28)

     造り主なる神は、人間を造り、自由意思を与えて下さった。それは、『人をご自身のかたちに創造された』、すなわち、「神の御性質に似せて造られた」という御言葉によって裏付けられる。何故なら、当然、神には自由意思があり、ご自身で「こうしよう」と思い、天地を創造されたのであり、その神の御性質に似せて造られた... 続きをみる

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  • カネか平和か(箴言17:1~3)

     「裕福で争いがある」より、「貧しくても平和」が良い、と聖書は言う。それに対して、「アーメン」と言える心でありたいが、いざ本当に貧しくなればどうだろう。例えば、夕食にパン一切れしかないなら、その家庭(夫婦間)には争いが起きるかもしれない。それゆえに裕福を求めるわけだが、そこで逆にまた競争、争いが起... 続きをみる

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  • どゆこと?! 意味わかんない

    発売から約一か月しか経ってないのに、もう中古品が出回ってる。 しかも、新品の倍の値段で! 新品買えるのに、なんで? 摩訶不思議。 ただいま、Amazon売れ筋ランキング38位です。 100位以内に出たり入ったり、しがみついてます。

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  • 逃げろ!(創世記19:15~29)

     主は、ソドムとゴモラを滅ぼそうとされた。その町に住んでいたロトとその家族は、ノアとは違って、決して「神の前に正しい」とは言えないが、主はロトを憐れみ、救い出そうとされ、『いのちがけで逃げなさい。この低地のどこででも立ち止まってはならない』と言われた。そのあたりの低地一帯は危険な領域だからであろう... 続きをみる

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  • 神は休まない!(創世記1:31~2:3)

     神は7日目に、全ての創造の業を休まれた。そして、その日を聖とされた。安息日に働いてはならない、という教えは、これに由来する。  しかし実際は、『父は今に至るまで働いておられます』と主が言われたように、神は休養を必要とするようなひ弱なお方ではないし、常に私達の祈りに耳を傾けておられるお方である。『... 続きをみる

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  • 詩篇74(攻撃されている)

     聖所(エルサレム)が踏みにじられているから助けて、と訴えている。それは歴史的には、BC586年のバビロンによるエルサレム破壊~バビロン捕囚の事だ。その後、帰還した人々の中にアサフ族がいて、賛美を導く務めを担った。つまり、この詩は、既にバビロンから解放された時点で書かれているという事だ。もう済んだ... 続きをみる

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  • 計画は無駄?(箴言19:21)

     主のはかりごとだけがなる、と聖書は言う。では、主のはかりごと(神のご計画)は何か。それは、『災いではなく、将来と希望と平安を与える計画』(エレミヤ29:11)であり、『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないものを備えている』(Ⅰコリント2:9)、... 続きをみる

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  • もうちょい旧約(伝道者の書7:16~18)

     快適さのためには、ゆとり、余裕、緩やかな部分、というものが欠かせない。車のハンドルで言えば、「あそび」が必要だということだ。服もそうであるように、厳密過ぎてもルーズ過ぎても不快となる。『過ぎたるは及ばざるがごとし』という言葉の通りだ。  さて聖書も、正し過ぎてはいけない、悪過ぎてもいけない、知恵... 続きをみる

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  • 出版社のサイトで「著者の声」掲載

    10月1日全国発売された拙著『苦しくならない聖書の本』~福音の真理・命を守りたくて~ アマゾン売れ筋ランキングの50位くらいと100位より下とを行ったり来たりしております。非力ながら、奮闘中です。 出版社のサイトに「著者の声」として掲載されてました。よろしければお読みください。

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  • 詩篇も続きますが…(伝道者の書3:11~14)

     神のなさることは全て時にかなって美しい……はずであるが、つい、「神様、何故ですか!」「どうしてですか!」「まだですか!」と不平をこぼしてしまいやすい。時には、神様に見放されたと感じることもあるかもしれない。それは、聖書が言うように、神のなさることを初めから終わりまで見極めることなど出来ないのだか... 続きをみる

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  • 少し趣向を変えて旧約をランダムに(ホセア6章)

     1~3節のイスラエルの悔い改めの言葉は、本気ではなく、その場しのぎのお題目である。神は、そんないけにえより、誠実を喜ぶ(つまり、全焼のいけにえより、神を知ることを喜ぶ)。  本当の信仰者は、神を知っている。私達は、神を信じるだけでなく、知ることが必要だ。  勿論、見ずに信じる者は幸いである。私達... 続きをみる

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  • 詩篇73(真の信仰)

     神はイスラエル(本当の意味での…、神の約束を信じて生まれた神の子)に対して慈しみ深い。しかし、と詩人は、それに反するかのように自らの歩みは「すべるばかりだった」と言う。その理由は、悪者が栄えるのを見て妬んだからだと。神に背く者が(神に従わないのに)何故栄えるのか。神のしもべが何故苦しみに遭うのか... 続きをみる

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  • 詩篇73:1(似て非なる福音を捨てよう)

     「神は慈しみ深い」という宣言である。ただし、イスラエルには、である。同時に、心の清い人に。それはつまり、ヤコブ(神を求める一族=イスラエル)であると詩篇24は言う。では神はイスラエル民族以外には目もくれず、慈しみも示さないのか。それ以前にイスラエル人は皆、心が清いのか。いや、イスラエルという国に... 続きをみる

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  • 詩篇72

     詩篇第二巻の最後の(ソロモンによる)詩は「ダビデの祈りは終わった」で終わる。不思議だが、問題は、何を祈っているのか、だ。  まず「王の子」とは誰か。ソロモンだとすれば王ダビデにとってのみ意味のある祈りであって、私達異邦人(しかも庶民)には無関係だ。しかし、その「王の子」である「彼」の為の祈りをよ... 続きをみる

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  • 詩篇71(本当の生き返り)

     悪者(4節)とは誰か。この詩を書いた時、詩人(ダビデ?)はかなり高齢であったと思われるが、問題は、老いても尚まだ信仰の戦いの中にある(悪者に攻撃されている)という事だ。9~13節を見ると、あたかも惨めな晩年を送っているかのようにも思える。しかし、決して神に失望してはいない。むしろ後世に伝えたいと... 続きをみる

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  • 詩篇70(忘れた?)

     40篇13~17節と同じ詩である。まさか、既に書いた事を忘れたわけではあるまい。では何の為に同じ事を2回も書いたのか。それは表題にある通り「記念の為に」だ。そこが40篇との違いである。  詩篇には、アルファベット詩という形式のものがあるが、それは聞く者(読む者)に何かを覚えさせる為の形である。し... 続きをみる

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  • 詩篇69(メシア詩篇)

     この詩からの引用が新約聖書には多くある。22篇同様のメシア詩篇だと言えるかもしれない。つまり主は、ここに示された通りの苦しみを受けられたという事だ。それも、故もなく(4節)、不当に。その事を、まず「彼らは理由無しに私を憎んだ」(ヨハネ15:25)と引用しているのだが、本当に理由が無い訳ではない。... 続きをみる

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  • 詩篇68(これも必読でしょう)

     この詩の全体像を眺めたい。31節まではイスラエルの歴史(出エジプト、その後の荒野での旅路~カナン征服~シオンが神の家として選ばれる~イスラエルの周りの国々を打ち負かす~ダビデの勝利の凱旋)である。そして、それは実は、単なる歴史ではなく「救いのプロセスの青写真」であり、それを雛型として(同じ様なプ... 続きをみる

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  • 詩篇67(必読に値すると思います)

     祝福を求める詩、と言うより、祈りである。しかし僅か7節の短い詩の中で3度「祝福して下さい」と願うのは、祈りの本質(願い事ではなく賛美)から外れている(もしかしたら「御利益信仰だ」)と言われるかもしれない。しかし、それが神のメッセージのはずはない。  そもそも信仰とは、自分が信じたい事を勝手に信じ... 続きをみる

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  • 詩篇66

     この詩の特徴は、13節から主語が「私達」から「私」に変わる事だ。つまり12節までは、イスラエル(私達)にとっての共通した事柄(出エジプト)ゆえに喜び賛美せよ、という事を言っているのである。その様な大局観的な読み方をする事によって、「恐るべき神の御業」が何であるのかが分かる。  それでは13節以降... 続きをみる

  • 詩篇65

     収穫感謝の歌だとされている。確かに収穫は神の恵みだ。食事の際には感謝の祈りが相応しい。しかし、そんな事が教えたいのだろうか。いや、この詩の中には何か、秘められた神のメッセージがある。  詩の舞台は何処か。シオン(エルサレム)である。かつてエジプトで奴隷であったイスラエルの民が、神に救い出されて導... 続きをみる

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  • 詩篇64

     「恐るべき敵」とはアブシャロムか、サウルか、それとも近隣諸国の王か。誰から攻撃されているのか、それが問題だ。その敵は言葉の暴力を振るう(3~4節)。それも「全き人」に向けて(4節)だ。ただし「全き人」とは、罪の無い完全な人の事ではない。ノアのように、どんな時も神のしもべとして神と共に歩もうとする... 続きをみる

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  • 詩篇63

     荒野での逃亡生活でダビデは、気を失うほどの渇きを覚えた。と言っても、のどの渇きではない。神との交わりに渇いていたのだ。すなわち、御言葉を聞く事、賛美する事だ。そこに神は御自身を現される。  注目すべきは、その神との交わりを求めて賛美した場所をダビデは『聖所』と言う事だ。エルサレムにいるのではない... 続きをみる

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  • 詩篇62

     口では祝福する(すなわち、顔と顔を合わせる間柄だ)が、彼らは心の中では呪っていて、ダビデの命を狙っているという。息子アブシャロムと彼に与する家来達の事だ。悲しく辛い苦難だ。そんな中でダビデは「神こそ我が救い」と信仰を奮い立たせる。そして民に対しても「どんな時にも神に信頼せよ」と。それはもはや、ダ... 続きをみる

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  • 詩篇61

     息子アブシャロムに命を狙われるという苦悩の中でもダビデは神の守りを信じた。それが信仰というものなのだろう。しかし、エルサレムに帰りたい(逃亡生活を終えて、神の都で安心して礼拝したい)と願うのはもっともな事であるし、その願いに神は答えて下さった。それゆえダビデは言う。いつまでも王座を守り、主の御名... 続きをみる

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  • 詩篇60

     多くの場合、詩人の個人的な詩を神が用いて、神からのメッセージとしている、それが聖書としての詩篇だ。しかし60篇は表題にあるように、ダビデ自身が何かを教える為に書かれた詩である。彼は何を教えたかったのか。全体の文脈から読み取ろう。土台としては、神の民(ダビデ)の一時的な敗北(1~3節)がある。だが... 続きをみる

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  • 詩篇59

     忠実に仕えるダビデを妬んで殺そうとしたサウルは、まさに不正な裁き人(力ある者)だ。ヨブに罪があるから、と決めつけた友人達も同様だ。そんな彼らを罰して、とダビデは言う。それは、偽りを語る者を、もみ殻の様に吹き飛ばして、という事なのだ。彼らは夜、活動する(6節)。闇の力、サタンの働きである。そして「... 続きをみる

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  • 詩篇58

     力ある者達が不正な裁きをしている。何が不正か。それは、公正な裁きをしないことが不正なのであって、裁く事自体が不正なのではない。主も「正しい裁きをせよ」(ヨハネ7:24)と言われた。そう、この詩は「公正な裁きの大切さ」を示す詩だ。ゆえに、この詩は、不正な裁判官を「悪者共」と呼ぶ。ただし「不正な裁判... 続きをみる

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  • 詩篇57

     56篇とよく似た構造の詩であり、一つ一つの言葉からと言うよりも、全体のストーリーから一つのメッセージを受け取る詩であろう。そこで、理解のポイントは7節からだ。まず『私の心は揺るぎません』と詩人は言う。それは勿論、神を信じるが故であるが、もし真の神を知らなかったら潰れてしまったかもしれない、という... 続きをみる

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  • 詩篇56

     ガテの王アキシュ(アビメレク)の前でダビデは、気が狂った振りをしてまで逃れようとした。形振り構っていられない程の危険と恐れがあったのだ。それが詩篇56:1~7に表されている。ただ8節は、よくある嘆き訴えとは違う。神はダビデの逃亡生活を記録しているというのだ。そしてダビデは、その苦しみ(涙)を神の... 続きをみる

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  • 詩篇55

     ダビデには沢山の敵がいた。中でも筆頭はサウル王(義父)、次にはアブシャロム(実子)だろう。実に厄介な敵が揃ったものである。倒すのは重荷だ。負けても辛いし勝っても辛い。しかし、彼らなら何とかなる、と12節。事実、ダビデは勝利を得た。しかし、そうではなくて(彼らが敵なのではなくて)、共に礼拝した信仰... 続きをみる

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  • 売れ筋ランキング健闘中!

    昨日発売開始された『苦しくならない聖書の本』 ~福音の真理・命を守りたくて~ アマゾンの売れ筋ランキングで、瞬間最大風速を記録した。 6位! 今は20位台にいるが、巻き返したい。

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  • 詩篇54

     ジフ人がサウルにダビデの居所を密告した時の詩である。ダビデは52篇でもドエグに密告されていたが、いずれの場合も、その場所を襲われて死ぬことはなかった。神の守りであろう。だから私達も密告されても大丈夫、と言われてもピンと来ない。神は、この詩を通して何が言いたいのか。それは、救いについてである。  ... 続きをみる

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  • 本日、絶賛の中、発売開始!

    『苦しくならない聖書の本』~福音の真理・命を守りたくて~ 本日発売開始です! ただいまアマゾンのランキング22位。 皆様是非、応援お願いいたします! アマゾンのサイトで「聖書」「本」で検索するとすぐ出ます。 以下は出版者様のFBでの紹介です。

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  • 詩篇53

     53篇は、14篇と殆ど同じである。だから片方は要らない、と言っていいか。それなら福音書も4つも要らないという事にもなる。いや、そんなはずはない。聖書である以上、その存在には意義があるはずだ。  14篇との違いは5節だ。特に『見よ。彼らが恐れのないところで、いかに恐れたかを』という一文は不思議だ。... 続きをみる

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  • 詩篇52

     サウルの忠実な家来ドエグは、ダビデに与したアヒメレクを始めとする祭司達85人をサウルの命令により虐殺した。それ以上に、乳飲み子に至るまでだ。それを非難しているのが、1~4節である。『それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き』と容赦なき裁きが宣告されている、それが5節である。が、ドエグが本当にそういう目... 続きをみる

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  • 詩篇51

     「ただ、神様にだけ罪を犯した」とダビデは言う。彼は偶像を拝んだのか、それとも神を呪ったのか。いや、他人の奥さんを奪い、その夫(自らの部下ウリヤ)を殺したのだ。被害者はウリヤである。ダビデはウリヤに対して罪を犯したのだ。勿論、それは神の前に罪である。しかし「ただ、神様にだけ罪を犯した」とはどういう... 続きをみる

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  • 詩篇50

     神は、御自身が審判者としてイスラエルを「告発する(新共同訳)」(新改訳では、戒めよう)と言う。その証人として、天と地を呼び寄せる、と。その告発の内容は8~13節だ。ここで神は「いけにえが欲しいのではない」と言う。民が年貢を納めていない(神のものを盗んでる)と怒っているのではない訳だ。そもそも、獣... 続きをみる

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  • プレスリリース!

    10月1日発売の新刊が出版社からプレスリリースされた。 この記事がまた、いい。 とても。 うれしい。 もう一つ、別のも。 読まれたい。 <追記> 出版社がプレスリリースを流しても、その全てが記事になるわけではないらしい。つまり、記事にする価値があるかどうかが判断されるということだ。 そんな中、3社... 続きをみる

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  • 詩篇49

     「どうして私は恐れなければならないのか」と詩人は言う(5節)。それは「主よ、何故ですか!」という嘆きかと言えばそうではない。続く7~9節には「人は必ず死ぬ」「命は買い戻せない」という事が言われている。つまり、文脈としては「豊かな富を誇る人などから中傷されても、どうって事はない。人は必ず死ぬ」とい... 続きをみる

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  • 詩篇48

     「シオン」は、エルサレム(その住民)、あるいは、ソロモンが建てた神殿のある丘をシオンとも呼ぶ。いずれにしてもごく狭い範囲である。そのシオンにおいて神は大いにほめたたえられるべき方だというのであるが、はて、神は全地でほめたたえられるべきお方ではないのか。そう、ここで言うシオンとは、単なる丘などの事... 続きをみる

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  • 詩篇47

     他の詩と違い、47篇には嘆き、呻きというようなものが無い。皆無だ。あるのは、ただ勝利。ヘブル人をカナンの地に導いてくれたいと高き神を誉めよと言う、この詩は実に神の勝利の詩だ。  ただ、その時、神がどんな奇跡を行ったのかなどという事は問題ではない。何故なら、旧約の出来事は、新約で示された神の御心(... 続きをみる

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  • 暴風の脅威!

    昨夜の暴風(台風)で飛ばされて来たモノ。 ありえない! おそろしい。 こんなの頭に当たったら死ぬな。 本当は、もっと散らかってたんだけど、ヨイショヨイショと端に寄せておいて、今朝撮影。

  • 詩篇46

     苦難の時、必ずそこに居まして助けて下さる(新共同訳)、それが神だと言う。頼もしい限りである。だが、何故いつもそこに居るのか。神のいる所に災いがあるという事か。いや、神が居る居ないに拘らず、人生に苦難はある。問題は、その時に助けがあるかどうかだ。  そこで、神は助ける、と聖書は言う。「ならば、どう... 続きをみる

  • 詩篇45:12~17

     ここには「御子」と「娘」の婚礼の様子が描かれているが、それは霊的には、キリストと教会の事である。そして、それは恋愛に基づく結婚ではなく、一心同体となる事を意味している(エペソ5:22~31)。  夫婦は一心同体。果たしてそれは本当か。「夫は妻を自分の体のように愛せ」と聖書が教えるのは、「現実は... 続きをみる

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  • 詩篇45:1~11

     この詩は、表面的には、地上の王への賛辞であると見える。が、実は、主の主・王の王キリストの事を歌っている「メシア詩篇」である。  油注がれたキリストである御子は信じる者が救われる為にと身代わりに十字架で死に、葬られた。その葬りの時、キリストの体は没薬とアロエと香料(肉桂も香料)に包まれた。勿論、香... 続きをみる

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  • アマゾンで本日予約開始!

    本のタイトルは、 『苦しくならない聖書の本』 ~福音の真理・命を守りたくて~ (著者:金本友孝) 玄武書房 アマゾンの検索で「聖書」「本」を入力して現れた中から上記の本を購入して頂くと、ランキングが上がる可能性があるそうです。 よろしくお願いいたします! これを機にハンドルネームをPTKから本名に... 続きをみる

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  • 詩篇44:9~26

     イスラエルは神の力に頼って様々な戦いに勝利した。それゆえに『御名をとこしえにほめたたえます』と8節で結ばれた。『それなのに』神に見捨てられた、と9節から16節は言うが、それはイスラエルが神により頼まず、他の神(偶像)を頼みとしたからである。つまり、イスラエルが神に見捨てられたという事実(殆どの人... 続きをみる

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  • 詩篇44:1~8

     一読した限り、敵と戦って勝利出来たのは神のおかげだ、というようなことが書かれていると思われる。確かにイスラエルは数々の戦いを神の力によって勝利した。だから? 聖書は私達にも「勇ましく戦え」と勧めているのだろうか。  確かに、人生は戦いだ。しかし、それは決して隣人との戦いではないし、隣国との戦いで... 続きをみる

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  • 10月1日発売決定!

     かねてからお知らせしている新しい本の刊行が10月1日と決まりました。  まもなく、アマゾンのページが出る予定ですので、その際、本のタイトルと表紙、そしてアマゾンのページのリンクを貼ります。  過去に2冊、キリスト教出版社の「I社」から私の本が出版されています。それは2冊とも「自叙伝」(前編と後編... 続きをみる

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  • 詩篇43

     『わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか』…それは、神に絶望する必要は無い、ということである。何故なら、神の裁きは公正であるからだ。ゆえに詩人は『欺きと不正の人から私を助け出してください』と訴える。詩人の周りには、欺く人、不正な人が取り巻いていたのだろう。いやむしろ、この世自体が、欺きと... 続きをみる

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  • 詩篇42:5~11

     魂が渇いて命の水を慕い求めていた詩人は、言わば霊的断食状態の中で断食の明ける日を期待しているのかと思えば、なんと、絶望していると言うのだ。「何故?」と詩人自身、自らに問いかける。それは、絶望している理由を聞きたいのではない。「絶望する必要はないでしょ?」と主張している、それが「何故?」だ。だから... 続きをみる

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  • 詩篇42:1~4

     私の魂は渇いている、と詩人は言う。命の水(霊的栄養=賛美、祈り、礼拝)が足りないのだ。それは、荒野を逃げ惑っているという状況だから無理もないことだ。だから「いつになったら思う存分、礼拝出来るだろうか」と、エルサレムにいた頃の礼拝の満足感などを思い出しながら、それが出来ない今の魂の渇き(胸の内、そ... 続きをみる

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  • 詩篇41

     聖書は、ある特定の、時代・宗教的背景・政治的状況の下で書かれているということを踏まえて読まなければ、正しく理解することは出来ない。例えば、主は弟子達を伝道に遣わす際「神の為に働く者が食べ物を与えられるのは当然」と言われた。それは、ユダヤ(単一宗教社会)においてこそ、のことであり、今の日本では当然... 続きをみる

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  • 詩篇40

     嘆き一辺倒という訳ではない。記念でもない、アルファベット詩でもない。では、教訓? 預言? この詩は何か。  1~2節は、救いの表現である。私達も、これとほぼ同じプロセスを通る。主を呼び求めて(底無し沼から引き上げられるように)救われるのだ。救いは、自分の行い、努力、修行などにはよらない。救い主に... 続きをみる

  • R.I.P.

    急性白血病で入院していた妻の母が昨日、天に帰った。 苦しまずに天国に行きたい、と願って、緩和ケア病棟に入院して約2週間。 あっという間だった。 少しは苦しみもあったろうとは思うが、それが長く続かずに済んだことが慰めだと思う。 さすがに娘(私の妻)にとっては寂しく辛いことだ。 妻が泣くのを見るのが私... 続きをみる

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  • 詩篇39

     舌は悪、死の毒に満ちている、不義の世界だ、とヤコブ書では厳しく指摘されている。ダビデも『舌で罪を犯さないために』と沈黙した。ただ問題は、『よいことにさえ、黙っていた』(別の翻訳では「良いことさえも何も言わなかった」)というところだ。それで苦しくなった、というのである。  たまりかねて、ダビデは口... 続きをみる

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  • 詩篇38

     自らの過ち、罪の経験、その苦しさを忘れないように(記念の為に)、ダビデはこの詩を、読者の為にではなく、自身の為に書いた。その苦しみの表現が全篇に渡って切々と記されている。それでいて、表題には「賛歌」とある。果たして、この詩から私達は何を学ぶべきか。  唯一、前向きな信仰が見られるのが13~15節... 続きをみる

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  • 詩篇37:35~40

     『平和の人には子孫ができる』と言うが、ある人はこの言葉に違和感を覚え、ある人(例えば、不妊で悩む人)は躓くかもしれない。これは翻訳の問題である。『子孫ができる』は直訳は『未来がある』であって、新共同訳では、ちゃんとそう訳されているのに、不思議だ。  さて、この37篇は「この世にあって悪は栄える」... 続きをみる

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  • 詩篇37:30~34

     正しい者は知恵を語る、と詩篇は更に言う。知恵と言えば、箴言だ(知恵についての教えが99回も出て来る)が、その中でも注目すべきは『主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである』(箴 9:10)だ。真の神がおられると知る(そして従う)こと、それが「知恵の初め」だと言うのである。口語訳で... 続きをみる

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  • 詩篇37:23~29

     「人の歩みが確かにされる」とは、人生が安定する、ということだろうか。いや、続く24節では『その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない』とある。その人は倒れない、とは言っていない。倒れても致命傷にはならないだけで、普通に倒れることもあるということだ。それを「安定」とは言えない。そもそも、世にあっ... 続きをみる

  • 詩篇37:8~22

     『怒ることをやめ』よと、この詩は言う。確かに、信仰者は柔和で温厚で人格者、というイメージがあるだろうから、怒りは相応しくないかもしれない。特にキリスト教は、愛し合いなさい、赦し合いなさい、受け入れ合いなさいと教えるのだから尚更だ。しかし『怒っても罪を犯してはなりません』(エペソ4:26)とある... 続きをみる

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  • 詩篇37:1~7

     悪が栄えるのを見るときに、怒りと共に、もしかしたら妬みも感じる、ということがあるかもしれない。「そうだ、罪の限りを尽くして、死ぬ間際に悔い改めれば……」と。そんな考えを持たないように(それは甘い)ということが言いたい1節である。何故なら、彼らは必ず倒れる時が来る、と2節。だから主に信頼して、真面... 続きをみる

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  • 詩篇36

     『罪は悪者の心の中に語りかける』と言うが、罪は生き物ではないし、口も持たない。結局は自分だ。そして、「語りかける」というヘブル語「ネウム」は「お告げ」を意味する。例えば「神のお告げ」のように、罪の性質に従う自分自身が自分の心にお告げをする、ということだ。そして、その「お告げ」に従って罪を行なう(... 続きをみる

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  • 詩篇35

     例によって、苦しみの叫びと悲痛な祈りだ。しかし、ダビデには、信仰による勝利の確信がある。だったら何故、神への批判があるのか。『目をさましてください』(つまり「正気に戻って下さい」)とダビデは神に訴える。神のしていること(悪を放置し、沈黙していること)は間違ってる、と批判しているのである。なのに、... 続きをみる

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  • 詩篇34:13~22

     心にあることを口が話す、と主は言われた。例えば、「お世辞を言ってやろう」という思いが心にあるから、口からお世辞が出るのである。心にも無いことは口から出ないのだ。ゆえに、心に何を満たすかが重要である。もし、聖霊に逆らうことを言うなら、それは、神を恐れる思いが心に無いからである。ゆえに、その言葉によ... 続きをみる

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  • 感涙必至

    妻の母が急性白血病で入院した。 当初の見立てでは、余命数日~数週間か、とも。 そこまでではないかも、とのことだが、 治療という段階を一足飛びに緩和ケア病棟に。 勿論、神は全能ではある。 しかし、癒し・奇跡を求めて足掻き苦しむより、緩和ケアで快適に、喜びつつ天国への備えをすることを即断した。それは信... 続きをみる

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  • 詩篇34:9~12

     「主を恐れる(主を愛し、信頼し、従う)なら、乏しいことがない」と聖書は言う。これは、クリスチャンは金持ちになれる、ということか。いや、これは、若い獅子や若者(イザヤ40:30~31参照)のように力があっても、やがては衰え、死ぬということに対してのクリスチャンの姿を言っているのだ。つまり「外なる... 続きをみる

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  • 詩篇34:1~8

     『私の口には、いつも、主への賛美がある』とダビデは言う。が、実際のところ詩篇は、かなりの部分が、ダビデの嘆きと悲痛な祈りの言葉によって占められているではないだろうか。特に、この34篇は表題にある通り、極限まで追い詰められた時(Ⅰサムエル21:10~15参照)に歌ったものだが、彼は『非常に恐れ』て... 続きをみる

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  • 詩篇33:20~22

     前回の「神の慈愛(救いの完成)を待ち望もう」の続きである。それを待ち望むのは、私達の「心」ではなく「魂」だと言うのだが、どういうことだろう。心では「宗教なんか要らない」と思う人もいるかもしれない。頭では「天国なんか無い」とも考えるかもしれない。しかし、魂は救いを求める、それが人間だということだ。... 続きをみる

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  • ーム が気になる

    今日は涼しかったので、草花を買って来て、教会の玄関に飾ってみた。

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  • 詩篇33:18~19

     「主を恐れる者」とは、この世の財力、数の力などに拠り頼まず、神にのみ拠り頼む者である。しかし、全部、神任せでいいという訳ではない。自分の果たすべき責任もあるし、パウロも、自分には人一倍、人間的なものに頼るところがある(エリートのパリサイ人で、その熱心さが自分の頼る力だ)と言っている。ただし、キリ... 続きをみる

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  • 9月には発売できるはず

    新しい本(聖書の解説本)の出版準備中だが、2~3日前に、表紙デザインの方向性を決めるためにと、2つのデザイン案が提出されてきた。あくまでも方向性を決めるためということだが、あれこれと注文を付け、出版社も同意し、その線で行きましょうということになった。よって、あとはデザイナーさん次第。どこのどなたか... 続きをみる

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  • 詩篇33:13~17

     神は人の心を調べる。神は全知であり、何も神の前に隠すことは出来ないはずなのに、『地に住むすべての者に目を注がれる』のだという。一人残らず、その『わざのすべてを読み取る』と。そこまでして何を調べようというのか。それは、人がその心にどんな計画を持っているか、だ。何故なら、10~11節に言われていたよ... 続きをみる

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  • 詩篇33:9~12

     神の言葉によって天と地は造られた。『主が命じられると、それは堅く立つ』と9節にある通りだ。ただ、詩人が言いたいのは「神の言葉は絶対だ」ということであり、その一例としての天地創造をもって「ほらね」と示しているのである。そして、神の言葉の絶対性の説明として「主の計画はなるが、国々の計画は神が虚しく(... 続きをみる

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  • 詩篇33:1~8

     賛美は心の直ぐな人達(自らを罪人と認めて、悔い改め、赦され、救われた人)に相応しい。それは、お似合いであるというような意味ではない。救われた者こそが賛美するべき、ということである。いやむしろ、救われた者が賛美しないでどうするのか。何故なら、賛美は礼拝の中心だからだ。例えば、説教を聴くことも、神の... 続きをみる

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  • 詩篇32

     罪を赦された人は幸いである。だから悔い改めなさい、という内容の(比較的シンプルな)詩である。が、幾つか引っかかるところもありはする。まず『心の直ぐな人』や、『正しい者たち』、『心に欺きのないその人』という表現だ。それは「悔い改めて罪を赦して頂いた人達」を指すのは間違いはない。つまり、神を信じ従う... 続きをみる

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  • ウルトラへビィ&ブルージー

    2007年の「街中コンサート」という一般のライブで録音した。その時の写真がこれ。牧師になって15年、46歳の時だ。 作曲したのは1988年(まだ神学生1年の時)。 オリジナルはZZTOPみたいな感じにしようと多重録音したハードロックだったけど、バンドではリズムを変えて、へビィなシャッフルにした。 ... 続きをみる

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  • 詩篇31

     悲痛な訴えと信仰の告白が交錯する、複雑な詩である。何があったのかダビデは極度の苦しみの中で、「神に見捨てられた」と不信仰になったのだとも言う。しかし彼は、そこから立ち直り、信仰による勝利の確信を持つに至る。不安と恐れの入り混じる中で、どうすれば勝利の確信が持てるのか。その秘訣は何か。  まずは、... 続きをみる

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  • 詩篇30

     致命的な危機からの脱出と回復、それが、この詩の内容であるのだが、どんな危機があり、どのように脱出したのか。ダビデは「私を見殺しにして神様に何の益がありますか。あなたを賛美出来なくなってもいいんですか」と、駆け引きをするかのように訴えた。それが功を奏したのか「神は、嘆きを踊りに変えてくださいました... 続きをみる

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  • 刊行まであと少し!

    19日に出版社の方から「デザイナーさんもお盆をはさんだので、表紙デザイン案(3パターン)は来週になりそうです」と連絡は来ていたが、それでも、もしかしたらと期待していたのだけれども、やはり来週になりそうだ。楽しみなだけに待ち遠しい。どんなのが出て来るかな。これさえ決まれば、すぐに発売となるので、あと... 続きをみる

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  • 詩篇29

     主に栄光を(返せ、ではなく)帰せよ、と聖書は言う。一旦、奪ってから返す、は良くない。栄光は主から出て主に帰るもの(誰のものでもなく、初めから主のもの)なのだ。では、どうやって帰らせるのか。それは、祭司として偉大な神を礼拝することによってである。その神の偉大さが3~10節に記されている。「主の声は... 続きをみる

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  • 詩篇28

     まず祈り。例によって「助けて、救って」と訴えている。そのあと独白としての「信仰の告白」が続く。ところが、最後の祈りでは、またもや「救って下さい」と訴えるのである。不安や恐れの中、信仰によって勝利の確信に至ったものの、それでも不安は完全には拭い去れなかった、ということだろうか。ならば、この詩は私達... 続きをみる

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  • 詩篇27

     主を待ち望め、とはどういうことか。心を強くせよ、ということは、気弱な人はだめだということだろうか。『雄々しくあれ』という、なんとも力強い言葉ではあるが、「漠然とした励まし」などではなく、具体的・実際的な力を、この詩から受け取りたい。  ダビデは『一つのことを主に願った』。願い事があるということは... 続きをみる

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  • 詩篇26

     『私を弁護してください』とダビデは言うが、それは助けを求めていると言うより、むしろ、裁き(正しい判断)を要求しているのである。新共同訳で『主よ。あなたの裁きを望みます』と訳されている通りだ。それも「私は正しく歩んだ」ということを判断してほしいというのである。そして、これからもそうするつもりだ、と... 続きをみる

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  • 詩篇25

     アルファベット詩は、その内容を覚えやすくさせるという効果がある。では、この詩で何を覚えさせたいというのだろう。特徴的なのは「小道」という言葉だ。詩篇に4回ある内の2回がここに出てくる。  主の小道とは、信仰者が歩むべき道のことだ。つまり「どのように生きるべきか」ということであるが「それを教えて下... 続きをみる

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